2013年 09月 25日
堀辰雄文学記念館を訪ねて |
2013年9月25日(水)
「初秋の淺間」 堀辰雄
この山麓では、九月はたいへん雲が多い。しかし、夏の近づく頃の雲の不活溌な動きとは異つて、白い、乾燥した、動きのいちじるしい雲の塊りが不連續的に通り過ぎる度毎に、何かがそれらの雲とともに一剥されでもしたかのやうに、そのあとで青空はいよいよ本物の青空に近づいてゆく。――さういふ雲のたたずまひが、とても好い。林のなかの空地などに寢そべつて見てゐると、さういふ雲は絶えず西から東へとときどき日かげを翳らせながら流れてゆく。
さういふ雲のなかから、淺間山もたえず見え隱れしながら、ときどきその全貌をすつきりと爽やかに見せたりする。山肌はいよいよ黄ばみ、夏などもつと多いと思つてゐた煙りが、思ひがけず、殆どあるかないか位にしか立つてゐなかつたりする。――が、さういふ時くらゐ、淺間山が魅惑的に見えることはない。日がぱあつと當つて、それがまだ何物をも温めてゐない、もうかなり肌寒いやうな朝など、起き拔けにふところ手をして山を見に出ると、そんな朝は淺間はきまつて雲ひとつない山肌を冷え冷えと見せてゐる。その山肌一めんに日が赤あかとあたり出すのを眺めてゐると、山自身が見る間に淡い雲を湧き立たせ、ヴェイルのやうに漂はせ、だんだんそれが濃くなつていつて、しばらくする裡に自分自身を半分以上その雲のなかに隱してしまふ。それから終日、そのなかに見え隱れしてゐる。
堀辰雄文学記念館は信濃追分宿の中ほどに、美しい木々に囲まれた一角にそれはあった。
芥川龍之介が唯一弟子をとったのが堀辰雄であった。龍之介は堀に「僕の書斎の本は何でも自由に読みたまえ、遠慮するな」と言った。最初は理数系の男であった堀がこんな恵まれた機会をえることによって、徐々に文学に傾注して行った。また堀は龍之介のほかに室生犀星を師としたが、その犀星が彼のことを次のように評している。
「自分で半分物を言ひ対手にあとを言はせるやうな、徳のある、好意をもたれる人である」
~~~~~~~~~
記念館の道路をはさんで北向かいに油屋がある。今では洒落た建物に変っていた。
油屋旅館は当時、東京から学生たちが避暑に多く訪れた。そのころちょうど立原道造も堀辰雄を慕ってこの旅館に逗留した、とある。
「初秋の淺間」 堀辰雄
この山麓では、九月はたいへん雲が多い。しかし、夏の近づく頃の雲の不活溌な動きとは異つて、白い、乾燥した、動きのいちじるしい雲の塊りが不連續的に通り過ぎる度毎に、何かがそれらの雲とともに一剥されでもしたかのやうに、そのあとで青空はいよいよ本物の青空に近づいてゆく。――さういふ雲のたたずまひが、とても好い。林のなかの空地などに寢そべつて見てゐると、さういふ雲は絶えず西から東へとときどき日かげを翳らせながら流れてゆく。
さういふ雲のなかから、淺間山もたえず見え隱れしながら、ときどきその全貌をすつきりと爽やかに見せたりする。山肌はいよいよ黄ばみ、夏などもつと多いと思つてゐた煙りが、思ひがけず、殆どあるかないか位にしか立つてゐなかつたりする。――が、さういふ時くらゐ、淺間山が魅惑的に見えることはない。日がぱあつと當つて、それがまだ何物をも温めてゐない、もうかなり肌寒いやうな朝など、起き拔けにふところ手をして山を見に出ると、そんな朝は淺間はきまつて雲ひとつない山肌を冷え冷えと見せてゐる。その山肌一めんに日が赤あかとあたり出すのを眺めてゐると、山自身が見る間に淡い雲を湧き立たせ、ヴェイルのやうに漂はせ、だんだんそれが濃くなつていつて、しばらくする裡に自分自身を半分以上その雲のなかに隱してしまふ。それから終日、そのなかに見え隱れしてゐる。
堀辰雄文学記念館は信濃追分宿の中ほどに、美しい木々に囲まれた一角にそれはあった。
「自分で半分物を言ひ対手にあとを言はせるやうな、徳のある、好意をもたれる人である」
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記念館の道路をはさんで北向かいに油屋がある。今では洒落た建物に変っていた。
by kirakuossan
| 2013-09-25 11:11
| 新日本紀行
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