2013年 09月 24日
ピアニスト列伝―5 ロベール・カサドシュ |
2013年9月24日(火)
ロベール・カサドシュ(Robert Casadesus, 1899~1972)はフランスのピアニストで作曲家であった。イメージだけで言ってはいけないが、でもイメージからしても、とても”上品なピアニスト”だった。若くしてアメリカで活動し、大戦後アメリカに亡命する。妻のギャビー夫人も著名なピアニストで二人の共演も数多い。カサドシュの演奏様式は古典的で、抑制が効いていて、物足りないような印象を持つこともあるが、そのことが冒頭にも触れたような”上品なピアニスト”と呼ばれる所以でもある。彼はラヴェルと大変親しく、彼の曲目を重要なレパートリーとしたが、他にもベートーヴェンやモーツァルトも得意とした。アメリカを主な活動の場にしたため当時の巨匠や著名なオーケストラとの共演も多くある。コロンビア交響楽団や、ジョージ・セルとクリーヴランド管弦楽団、ユージン・オーマンディとフィラデルフィア管弦楽団などである。
音楽評論家吉田秀和の著作に『レコードのモーツァルト』(中公文庫)というのがある。そのなかに「音のきれいなピアニストでモーツァルトをきくと」と題して、カサドシュのことが語られている。たいへん興味深いので抜粋してみる。
カサドシュといえば、極めつきの美徳として知られていた、あの円くて、しっとりとした輝きがあって、粘っこさというものがなくて、しかもかさかさの無機的な感じを少しも与えない、軽くて、決して、軽っぽくないいわゆる真珠の玉をつらねたようなレガートの美しさというものが、あるにはあっても、少し重くなり、音の表面にも、真珠の比喩を続ければ、少し「病気になったような」淡い曇りがうっすらとかかったような気味があって、おやっと思ったものだった。<略>
カサドシュといえば、私など―いや私に限るまい、彼の少なくとも壮年期のあのピアノをきいたことのある人たちだったら、ラヴェルやドビュッシーといったフランス近代音楽のピアノの名作はいうまでもないが、恐らく、それにもまして、彼のモーツァルトを高く評価していた。
著者がここで推奨するのはモーツァルトのピアノ協奏曲第15番変ロ長調、同じく第17番ト長調、それに第26番ニ長調「戴冠式」と最後の協奏曲第27番変ロ長調の4曲、いずれもジョージ・セルの指揮によるものである。(オケはクリーヴランドとコロンビア)
今、NMLでその「戴冠式」を聴いている。吉田氏はもしまだ彼のモーツァルトを聞いていないとしたら、この曲から聞いてみるのも悪くないだろう、と述べている。
モーツァルト :
ピアノ協奏曲第26番ニ長調 「戴冠式」 K.537
ロベール・カサドシュ(ピアノ)
クリーヴランド管弦楽団
ジョージ・セル(指揮)
録音:1954
聴いてみて感じたことは・・・吉田氏が表現した「軽くて、決して、軽っぽくないいわゆる真珠の玉をつらねたようなレガートの美しさ」そのものであった。
そこでかみさんが一言・・・「あまりにも整いすぎた演奏やね」・・・・・・・・・ナルホド・・・・・。
音楽評論家吉田秀和の著作に『レコードのモーツァルト』(中公文庫)というのがある。そのなかに「音のきれいなピアニストでモーツァルトをきくと」と題して、カサドシュのことが語られている。たいへん興味深いので抜粋してみる。
カサドシュといえば、極めつきの美徳として知られていた、あの円くて、しっとりとした輝きがあって、粘っこさというものがなくて、しかもかさかさの無機的な感じを少しも与えない、軽くて、決して、軽っぽくないいわゆる真珠の玉をつらねたようなレガートの美しさというものが、あるにはあっても、少し重くなり、音の表面にも、真珠の比喩を続ければ、少し「病気になったような」淡い曇りがうっすらとかかったような気味があって、おやっと思ったものだった。<略>
カサドシュといえば、私など―いや私に限るまい、彼の少なくとも壮年期のあのピアノをきいたことのある人たちだったら、ラヴェルやドビュッシーといったフランス近代音楽のピアノの名作はいうまでもないが、恐らく、それにもまして、彼のモーツァルトを高く評価していた。
著者がここで推奨するのはモーツァルトのピアノ協奏曲第15番変ロ長調、同じく第17番ト長調、それに第26番ニ長調「戴冠式」と最後の協奏曲第27番変ロ長調の4曲、いずれもジョージ・セルの指揮によるものである。(オケはクリーヴランドとコロンビア)
今、NMLでその「戴冠式」を聴いている。吉田氏はもしまだ彼のモーツァルトを聞いていないとしたら、この曲から聞いてみるのも悪くないだろう、と述べている。
モーツァルト :
ピアノ協奏曲第26番ニ長調 「戴冠式」 K.537
ロベール・カサドシュ(ピアノ)
クリーヴランド管弦楽団
ジョージ・セル(指揮)
録音:1954
聴いてみて感じたことは・・・吉田氏が表現した「軽くて、決して、軽っぽくないいわゆる真珠の玉をつらねたようなレガートの美しさ」そのものであった。
そこでかみさんが一言・・・「あまりにも整いすぎた演奏やね」・・・・・・・・・ナルホド・・・・・。
by kirakuossan
| 2013-09-24 12:49
| ピアニスト列伝
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