2013年 09月 09日
空海の書物 三教指帰 |
2013年9月9日(月)
兎角公という人物の甥は自由気ままな生活を繰り返している。これを諌めるために儒教の大家、道教の大家がそれぞれの教えを説く。次に仮名乞児(空海そのもの)が大乗仏教の広さと深さを説き、仏教の優位性を論ずる。と同時に自らが仏僧になった理由をも述べる戯曲的な作品、空海が24歳のときに書き記した名著『三教指帰』(さんごうしいき)を読む。
(『空海「三教指帰」』加藤精一・純隆訳:角川ソフィア文庫)
これを読んでまず驚かされるのは、青年の空海のまだ若くしてのあまりにもの博学さや思慮深さである。そしてその日常性において、1200年以上も昔のことながら、現代にもほとんどが相通じる事象であるということである。
「文の起こり、必ず由あり。」として序章でこの書物を書いた理由を述べている。そしてその文末にこう記す。
勒して三巻と成して名づけて『三教指帰』と曰う。唯、憤懣の逸気を写せり。誰れか他家の披覧を望まん。(文を綴って三巻とし、『三教指帰』と名づけました。ただひとえに私のやみがたい気持ちを表したかっただけであります。決して他の人々に覧てもらおうなどと思っているわけではありません。)
第三章の「仮名乞児主張」、すなわち「空海自身の主張」で自分の考えを吐露する。真の忠孝を説くところがある。
「私は愚かで物知らずでありますが、できるだけ雅(ただ)しい遺訓(おしえ)を汲みとって先人の遺風を慕っております。あなたは仏道に進もうとする私を忠孝にそむくとして非難しますが、私は私で常に国家の幸せを第一に考えており、両親及び一切の衆生(ひとびと)のために陰ながら功徳を積んでおります。これによって得られる智慧や福徳に一切がすべて忠であり考とあると私は考えているのです。しかし、あなたはただ筋力を使って努めることや、身体を屈して仕えることだけが忠孝だと思い込んでいて、もっと大きな忠孝のあることに気づいていないのです。」
そしていよいよ仏教について語り、仏教は全体の真理であって、儒教や道教は仏教の一部分とであると説き、開祖釈尊の話へと移っていく。
「無常の賦」を詠い、「生死海(しょうじかい)の賦」を語り、菩提と涅槃にふれ、最後に「十韻の詩」を儒教や道教の大家たちみなで詠じて書を括る。
太陽や月が輝いて、夜の闇を破り去るように三つの教えは人々のくらい心を取り除いてくれます。人々の性質が多種多様だから、心の闇を除く医王も、病に応じて薬や鍼の用いかたを変えていきます。
君臣・父子・夫婦の<三綱>、仁・義・礼・智・信の<五常>の道は孔子によって述べられました。これを習う者は槐林(だいがく)へ通います。
変転を説く道教は、老子によって授けられました。これを伝える者は道教の寺院の道観へ臨って学びます。
金仙(ほとけ)の説かれた一乗の教え―人生はすべて、仏の光を浴び仏に向って歩むところにその意味がある、という教え―は、教理(ことわり)も利益も最も奥深いものです。自らも他をも、兼ねて利益し済度します。獣や禽たちも例外ではありません。春の花はやがて枝の下に散り、秋の露ははかなく葉の上で沈えていきます。
逝く川の流れは常に流転して住まる(とどまる)ことがありませんし、急風(つむじかぜ)は幾たびか、音をたてて過ぎかつ消えていきます。このように六塵(ろくじん)(色・声・香・味。触・法)の世界はすべて無常であり、人々を溺らせる「迷いの海」であり、常・楽・我・浄という四つの徳性を備えた涅槃の境涯こそが、彼岸にそびえる目標の岑(みね)なのです。
本書の訳者(加藤精一)が巻末で空海の略伝を記するが、62歳で入定する少し前、高野山に居た空海の澄み切った心境をよくあらわしているとして、次の詩が紹介されている。
後夜聞仏法僧鳥
閑林独坐草堂暁
三宝之声聞一鳥
一鳥有声人有心
声心雲水倶了了
後夜(ごや)に仏法僧鳥を聞く
閑林(かんりん)に独坐す、草堂の暁
三宝の声、一鳥に聞く
一鳥声あり、人こころあり
声心雲水、倶に了了(りょうりょう)
夜明けの鳥の声もそれを聞いている自分の心も、流れる雲も逝く水も、大日如来の活動そのものではないか。
おしまい。
(『空海「三教指帰」』加藤精一・純隆訳:角川ソフィア文庫)
これを読んでまず驚かされるのは、青年の空海のまだ若くしてのあまりにもの博学さや思慮深さである。そしてその日常性において、1200年以上も昔のことながら、現代にもほとんどが相通じる事象であるということである。
「文の起こり、必ず由あり。」として序章でこの書物を書いた理由を述べている。そしてその文末にこう記す。
勒して三巻と成して名づけて『三教指帰』と曰う。唯、憤懣の逸気を写せり。誰れか他家の披覧を望まん。(文を綴って三巻とし、『三教指帰』と名づけました。ただひとえに私のやみがたい気持ちを表したかっただけであります。決して他の人々に覧てもらおうなどと思っているわけではありません。)
第三章の「仮名乞児主張」、すなわち「空海自身の主張」で自分の考えを吐露する。真の忠孝を説くところがある。
「私は愚かで物知らずでありますが、できるだけ雅(ただ)しい遺訓(おしえ)を汲みとって先人の遺風を慕っております。あなたは仏道に進もうとする私を忠孝にそむくとして非難しますが、私は私で常に国家の幸せを第一に考えており、両親及び一切の衆生(ひとびと)のために陰ながら功徳を積んでおります。これによって得られる智慧や福徳に一切がすべて忠であり考とあると私は考えているのです。しかし、あなたはただ筋力を使って努めることや、身体を屈して仕えることだけが忠孝だと思い込んでいて、もっと大きな忠孝のあることに気づいていないのです。」
そしていよいよ仏教について語り、仏教は全体の真理であって、儒教や道教は仏教の一部分とであると説き、開祖釈尊の話へと移っていく。
「無常の賦」を詠い、「生死海(しょうじかい)の賦」を語り、菩提と涅槃にふれ、最後に「十韻の詩」を儒教や道教の大家たちみなで詠じて書を括る。
太陽や月が輝いて、夜の闇を破り去るように三つの教えは人々のくらい心を取り除いてくれます。人々の性質が多種多様だから、心の闇を除く医王も、病に応じて薬や鍼の用いかたを変えていきます。
君臣・父子・夫婦の<三綱>、仁・義・礼・智・信の<五常>の道は孔子によって述べられました。これを習う者は槐林(だいがく)へ通います。
変転を説く道教は、老子によって授けられました。これを伝える者は道教の寺院の道観へ臨って学びます。
金仙(ほとけ)の説かれた一乗の教え―人生はすべて、仏の光を浴び仏に向って歩むところにその意味がある、という教え―は、教理(ことわり)も利益も最も奥深いものです。自らも他をも、兼ねて利益し済度します。獣や禽たちも例外ではありません。春の花はやがて枝の下に散り、秋の露ははかなく葉の上で沈えていきます。
逝く川の流れは常に流転して住まる(とどまる)ことがありませんし、急風(つむじかぜ)は幾たびか、音をたてて過ぎかつ消えていきます。このように六塵(ろくじん)(色・声・香・味。触・法)の世界はすべて無常であり、人々を溺らせる「迷いの海」であり、常・楽・我・浄という四つの徳性を備えた涅槃の境涯こそが、彼岸にそびえる目標の岑(みね)なのです。
本書の訳者(加藤精一)が巻末で空海の略伝を記するが、62歳で入定する少し前、高野山に居た空海の澄み切った心境をよくあらわしているとして、次の詩が紹介されている。
後夜聞仏法僧鳥
閑林独坐草堂暁
三宝之声聞一鳥
一鳥有声人有心
声心雲水倶了了
後夜(ごや)に仏法僧鳥を聞く
閑林(かんりん)に独坐す、草堂の暁
三宝の声、一鳥に聞く
一鳥声あり、人こころあり
声心雲水、倶に了了(りょうりょう)
夜明けの鳥の声もそれを聞いている自分の心も、流れる雲も逝く水も、大日如来の活動そのものではないか。
おしまい。
by kirakuossan
| 2013-09-09 12:04
| 文芸
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