2013年 08月 05日
気持ちがととのってゆく |
2013年8月5日(月)
プロレタリア文学は以前から好まず、佐多稲子という女流作家は知っていたが、もちろん作品を読んだこともないし、詳しくも知らない。ふとしたことから佐多氏の室生寺に関するエッセイを読んだ。「女人高野室生寺」いかにも女性らしい美しい文章だと思った。想像していた理屈っぽさはなく、実に素直で肩の力が抜けた、心に残る文章である。
室生寺は、優しい山あいのひっそりした村のはずれにあった。室生川を前に、山をうしろにして、白い土塀がつづいている。きゃしゃに見える門の前に、「女人高野室生寺」の石柱が立っている。その門にかかる橋も工事中で、かみ手の仮橋を渡った。その夜の宿泊をこちらの宿坊にお願いしている私たちは、寺務所のある本坊の座敷でひと休みして、その座敷からはまだ視野にはいってこない古き室生寺を、樹木の深い山の上におもい描いていると、気持ちがととのってゆくような感じがした。
ここでの”気持ちがととのってゆく”という表現は非常に的確で、心に通じる好きな言葉だ。
「悉地院」の廊下をまわって出てきて、そこから上の台地に五重塔が見えたとき、はっとするほど惹かれて、このおもいが重なるのであった。平安時代に建ち、日本でも最も小さいというこの五重塔は、愛らしく誇らかに立って、いよいよあでやかである。が、金堂の沈潜した美しさとの比較でいえば、五重塔の美の中には少女の固さを残しているように見え、私には、金堂がいちばん美しくおもえた。金堂内に掌をひろげて立たれた仏像たちのうちの、十一面観音のおもてはふくよか、そしてこの仏像たちの前に、おもいおもいの姿で立つ十二神将の表情は、闊達であった。そのひとつには、ひょうげた表情さえある。ここでもまた私はこれらの仏像をきざんだ仏師たちの心持というものを、遠い昔のうちにおもい描く。神将たちの反った指にも神経が白く光って、その指さきがこれを彫った人の手へとおもいをつなぐ。
室生寺の帰りに、佐多氏は奈良へ出て駅前の道を歩いていて、思いがけなく広津和郎氏とばったり出くわす。
あらあ、と私が突っ立つようにして、
「室生寺を見てきました」
というと、
「室生寺は、よかったでしょう」
と広津さんはおっしゃった。
「室生寺」はまた行きたいお寺だ。多分何度言っても、感激は新ただろう。
室生寺は、優しい山あいのひっそりした村のはずれにあった。室生川を前に、山をうしろにして、白い土塀がつづいている。きゃしゃに見える門の前に、「女人高野室生寺」の石柱が立っている。その門にかかる橋も工事中で、かみ手の仮橋を渡った。その夜の宿泊をこちらの宿坊にお願いしている私たちは、寺務所のある本坊の座敷でひと休みして、その座敷からはまだ視野にはいってこない古き室生寺を、樹木の深い山の上におもい描いていると、気持ちがととのってゆくような感じがした。
ここでの”気持ちがととのってゆく”という表現は非常に的確で、心に通じる好きな言葉だ。
室生寺の帰りに、佐多氏は奈良へ出て駅前の道を歩いていて、思いがけなく広津和郎氏とばったり出くわす。
あらあ、と私が突っ立つようにして、
「室生寺を見てきました」
というと、
「室生寺は、よかったでしょう」
と広津さんはおっしゃった。
「室生寺」はまた行きたいお寺だ。多分何度言っても、感激は新ただろう。
by kirakuossan
| 2013-08-05 09:56
| 文芸
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