2013年 06月 20日
二つのルーマニア狂詩曲 |
2013年6月20日(木)
ジョルジェ・エネスコ(1881~1955)は作曲家と同時にヴァイオリニスト、ピアニストであり、指揮者でもあった。ルーマニアが生んだ20世紀の傑出した音楽家のひとりである。でも彼の存在は存命中の活躍ほどに今は知られていない。彼はルーマニアのリヴェニという小村に生れ、幼年期より楽才を発揮した。やがてヴァイオリンの才能をブラームスに認められ、ブラームスの音楽をこよなく愛する。42歳のとき、ニューヨークでフィラデルフィア管弦楽団を指揮して指揮者としてもデビューを果し、さらにはニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団も指揮する。エネスコは普段はフランスとルーマニアに暮らしたが、第二次世界大戦以降はパリに住み、二度と祖国に戻ることはなかった。
作曲家としての彼は、祖国ルーマニアの民俗音楽を色濃くしたもので、9歳から作曲を始め、最初はワーグナーとブラームスなどに影響を受け、さらにフランスに渡ってからは、フォーレやフランクなどの影響を受けて行く。ここに”祖国愛”に充ち満ちた素晴らしい曲がある、2つの「ルーマニア狂詩曲」だ。彼の代表作で、20歳の若いときの作品である。とくに第1番の方が有名であるが、第2番の、地味だが土の香りがするどこか哀しげなメロディーに心うたれる。
ジョルジェ・エネスコ(1881~1955)は作曲家と同時にヴァイオリニスト、ピアニストであり、指揮者でもあった。ルーマニアが生んだ20世紀の傑出した音楽家のひとりである。でも彼の存在は存命中の活躍ほどに今は知られていない。彼はルーマニアのリヴェニという小村に生れ、幼年期より楽才を発揮した。やがてヴァイオリンの才能をブラームスに認められ、ブラームスの音楽をこよなく愛する。42歳のとき、ニューヨークでフィラデルフィア管弦楽団を指揮して指揮者としてもデビューを果し、さらにはニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団も指揮する。エネスコは普段はフランスとルーマニアに暮らしたが、第二次世界大戦以降はパリに住み、二度と祖国に戻ることはなかった。
作曲家としての彼は、祖国ルーマニアの民俗音楽を色濃くしたもので、9歳から作曲を始め、最初はワーグナーとブラームスなどに影響を受け、さらにフランスに渡ってからは、フォーレやフランクなどの影響を受けて行く。ここに”祖国愛”に充ち満ちた素晴らしい曲がある、2つの「ルーマニア狂詩曲」だ。彼の代表作で、20歳の若いときの作品である。とくに第1番の方が有名であるが、第2番の、地味だが土の香りがするどこか哀しげなメロディーに心うたれる。
by kirakuossan
| 2013-06-20 06:25
| いい曲、なんの曲
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