2013年 05月 01日
二人の呑んだくれ |
2013年5月1日(水)
大町桂月遺稿「十和田湖」
昭和十一年八月一日発行(発行所:龍星閣.定価六拾銭)
「十和田湖」文集に寄せて 細田民樹
~~
私は蔦温泉の二階から、真正面に見える大町桂月氏の墓を毎日眺めながら、よくこんなことを思ひました。所謂自然を愛することでは、殆んど世界に類の無い日本の国民性でありながらしかも、生命をかけてまで、其の處を愛したといふ詩人など案外少ないのに、故大町桂月氏は、よく俗事に超越してそれを敢てした強い詩人であった。大町氏など、真の詩人の一人であったのだと、よくそんなことを考へました。
それにつけて、私はかって、十六七年前、ただ一度大町氏の風貌に接したことまで思ひ出すのでした。無論個人的な交際などはなく、島崎藤村氏の誕生五十週年祝賀会に、始めて桂月氏を見ました。桂月氏はその時、随分野人的な口調と態度をもって、藤村氏に「率直性」を要求するやうな演説をしたのです。私はその時、大町桂月氏が、真の詩人の一人であることを心強く感じたものでした。(昭和十一年七月)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「十和田湖」から
「蔦温泉籠城記」 大町桂月
二人の呑んだくれ
小笠原臥雲に迎へられて、児玉花外は十和田湖を歌ふべく、余は杉浦重剛先生を傅すべく、蔦温泉に籠城することとなりけるが、臥雲笑って、大正の寒山拾得なりといふ。斯くいふ臥雲も、円顔童顔、些の俗気なく、軀斡偉大、堂々たる大和尚の相好を有す。花外桂月が寒山拾得ならば、臥雲は国清寺の豊干なるべし。若しも三人揃ひて、山下の通天橋に撮影すれば、大正の虎渓三笑ともならむか。~~
花外は呑んだくれ也。余も呑んだくれ也。この二人を一所にしておきたらば、朝から晩まで酒びたしになって、一向筆を執らざるべしとは世間一般に想像する所也。(注:臥雲は酒を飲まない)江見水蔭手紙の端に書して曰く、
桂月が見える 花外が見える
二人は酔って笑ってゐる 又時として泣いてゐる
泣いた涙は蔦温泉 それには酒の香がする
手紙を読んだその時に 水蔭が感じたのは然うだった
然るに、花外も余も同じく呑んだくれなれども、呑み方異なれり。花外は平日は酒を口にせざるが、余は毎日飲む。酒は余の戀人なり。一日相見ざれば三秋の如き也。酒量を云へば、花外は大にして余は小也。花外は二本にて微酔し、余は一本にて微酔す。この一本は四合瓶にて、正味三合三勺也。余弱くして、とても花外の相棒には成れざる也。花外は飲み出せば、泥酔せずんば止めず、且つ梯子酒にて多々弁ずるが、余は感興に乗ずれば、泥酔すれども、平生は感興起らざるを以て、酔へば直に眠を催す。
・・・・と他愛ない話が続いて行く。
ここでの花外は、明治大学校歌の作詞者児玉花外である。よほど桂月と相性がよかったのだろう。
この大町桂月という文人と共に蔦温泉のことはいつまでも忘れないだろう。
今日も湯船の足元からひっきりなしに無色透明の源泉が湧き出ていることだろう。
大町桂月遺稿「十和田湖」
昭和十一年八月一日発行(発行所:龍星閣.定価六拾銭)
「十和田湖」文集に寄せて 細田民樹
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私は蔦温泉の二階から、真正面に見える大町桂月氏の墓を毎日眺めながら、よくこんなことを思ひました。所謂自然を愛することでは、殆んど世界に類の無い日本の国民性でありながらしかも、生命をかけてまで、其の處を愛したといふ詩人など案外少ないのに、故大町桂月氏は、よく俗事に超越してそれを敢てした強い詩人であった。大町氏など、真の詩人の一人であったのだと、よくそんなことを考へました。
それにつけて、私はかって、十六七年前、ただ一度大町氏の風貌に接したことまで思ひ出すのでした。無論個人的な交際などはなく、島崎藤村氏の誕生五十週年祝賀会に、始めて桂月氏を見ました。桂月氏はその時、随分野人的な口調と態度をもって、藤村氏に「率直性」を要求するやうな演説をしたのです。私はその時、大町桂月氏が、真の詩人の一人であることを心強く感じたものでした。(昭和十一年七月)
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「十和田湖」から
「蔦温泉籠城記」 大町桂月
二人の呑んだくれ
小笠原臥雲に迎へられて、児玉花外は十和田湖を歌ふべく、余は杉浦重剛先生を傅すべく、蔦温泉に籠城することとなりけるが、臥雲笑って、大正の寒山拾得なりといふ。斯くいふ臥雲も、円顔童顔、些の俗気なく、軀斡偉大、堂々たる大和尚の相好を有す。花外桂月が寒山拾得ならば、臥雲は国清寺の豊干なるべし。若しも三人揃ひて、山下の通天橋に撮影すれば、大正の虎渓三笑ともならむか。~~
花外は呑んだくれ也。余も呑んだくれ也。この二人を一所にしておきたらば、朝から晩まで酒びたしになって、一向筆を執らざるべしとは世間一般に想像する所也。(注:臥雲は酒を飲まない)江見水蔭手紙の端に書して曰く、
桂月が見える 花外が見える
二人は酔って笑ってゐる 又時として泣いてゐる
泣いた涙は蔦温泉 それには酒の香がする
手紙を読んだその時に 水蔭が感じたのは然うだった
然るに、花外も余も同じく呑んだくれなれども、呑み方異なれり。花外は平日は酒を口にせざるが、余は毎日飲む。酒は余の戀人なり。一日相見ざれば三秋の如き也。酒量を云へば、花外は大にして余は小也。花外は二本にて微酔し、余は一本にて微酔す。この一本は四合瓶にて、正味三合三勺也。余弱くして、とても花外の相棒には成れざる也。花外は飲み出せば、泥酔せずんば止めず、且つ梯子酒にて多々弁ずるが、余は感興に乗ずれば、泥酔すれども、平生は感興起らざるを以て、酔へば直に眠を催す。
・・・・と他愛ない話が続いて行く。
ここでの花外は、明治大学校歌の作詞者児玉花外である。よほど桂月と相性がよかったのだろう。
この大町桂月という文人と共に蔦温泉のことはいつまでも忘れないだろう。
今日も湯船の足元からひっきりなしに無色透明の源泉が湧き出ていることだろう。
by kirakuossan
| 2013-05-01 12:39
| 文芸
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