2013年 04月 30日
旅の思い出、蔵王 |
2013年4月30日(火)
ここに藤岡武雄著の『斎藤茂吉伝』がある。年譜に沿ってかなり克明に書き記されているが、その中に「疎開時代」という章がある。ちょっと抜粋してみると・・・
昭和二十年 (一九四五) 六十四歳
四月十日
疎開のため、単身上山におもむき、岸家の別荘の一室を借りて滞在した。
四月十四日
岸家の部屋は使用を承知したが借間にはしたくないというので、弟高橋四郎兵衛と相談し、金瓶を中心として生活することを決心し金瓶の斎藤十右衛門の土蔵を借りて住むことにする。十右衛門家は守谷家の上隣りで妹お直が嫁している。
五月二十五日
東京空襲により、青山の自宅・病院が全焼し、松原町の病院も罹災した。
六月十日
てる子、昌子(二女)が金瓶の斎藤十右衛門家にやってきて一緒に生活することとなる。
六月十五日~十七日
朝、高湯温泉(現・蔵王温泉)若松屋にゆき滞在する。
八月十五日
天皇陛下から大東亜戦争終結の放送があった。
九月一日
休刊していた『アララギ』を復刊した。
九月下旬
軍医少尉で応召していた長男茂太が召集解除となる。
十月八日
マッカーサー元師の「天皇制に関する意見」を読んで、憤怒し、血の逆流する思いであった。
十一月十七日~二十日
大石田に赴き、板垣家子夫宅へ滞在し、最上川周辺を散策する。
この月、杉並区大宮前六丁目三四〇番地に家を買って長男茂太ら移り住む。
斉藤茂吉は明治十五年五月十四日、山形県南村山郡金瓶村(現・上山市)の農家、守谷家の三男として生まれる。蔵王温泉宿「わかまつや」の主人とは従兄関係にあってこの宿をよく愛した。
陸奥をふたわけざまに聳えたまふ蔵王の山の雲の中に立つ 「白桃」
ここに藤岡武雄著の『斎藤茂吉伝』がある。年譜に沿ってかなり克明に書き記されているが、その中に「疎開時代」という章がある。ちょっと抜粋してみると・・・
昭和二十年 (一九四五) 六十四歳
四月十日
疎開のため、単身上山におもむき、岸家の別荘の一室を借りて滞在した。
四月十四日
岸家の部屋は使用を承知したが借間にはしたくないというので、弟高橋四郎兵衛と相談し、金瓶を中心として生活することを決心し金瓶の斎藤十右衛門の土蔵を借りて住むことにする。十右衛門家は守谷家の上隣りで妹お直が嫁している。
五月二十五日
東京空襲により、青山の自宅・病院が全焼し、松原町の病院も罹災した。
六月十日
てる子、昌子(二女)が金瓶の斎藤十右衛門家にやってきて一緒に生活することとなる。
六月十五日~十七日
朝、高湯温泉(現・蔵王温泉)若松屋にゆき滞在する。
八月十五日
天皇陛下から大東亜戦争終結の放送があった。
九月一日
休刊していた『アララギ』を復刊した。
九月下旬
軍医少尉で応召していた長男茂太が召集解除となる。
十月八日
マッカーサー元師の「天皇制に関する意見」を読んで、憤怒し、血の逆流する思いであった。
十一月十七日~二十日
大石田に赴き、板垣家子夫宅へ滞在し、最上川周辺を散策する。
この月、杉並区大宮前六丁目三四〇番地に家を買って長男茂太ら移り住む。
斉藤茂吉は明治十五年五月十四日、山形県南村山郡金瓶村(現・上山市)の農家、守谷家の三男として生まれる。蔵王温泉宿「わかまつや」の主人とは従兄関係にあってこの宿をよく愛した。
陸奥をふたわけざまに聳えたまふ蔵王の山の雲の中に立つ 「白桃」
by kirakuossan
| 2013-04-30 10:13
| 偶感
|
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