2013年 04月 17日
鬼才マゼール、健在なり。 |
2013年4月17日(水)
「マゼールの元気な姿を見、ミュンヘンの素晴らしい音を堪能して、今宵は最高の演奏会であった」と昨夜、印象を書いた。
これはどういうことを意味するのか。オーケストラの音を絶賛して、ロリン・マゼールの指揮ぶりを評価しないのか。このことは2つの意味が含まれる。
ひとつに”マゼールの元気な姿を見”は・・・感慨が人一倍こもっているからである。1974年5月20日、今から39年前、同じここフェスティバルホールでマゼールの指揮を見た。44歳の若きマゼールはアメリカの実力オーケストラクリーヴランド管弦楽団を引き連れてやってきた。そしてベートーヴェンの第4番とベルリオーズの幻想交響曲を聴いた。このときはまさにあのジョージ・セルが鍛え上げた、潔癖さを誇る、研ぎ澄まされた”クリーヴランド・サウンド”に魅了された。指揮者マゼールの存在は正直言ってその影に隠れた。でも溌剌としたあの指揮ぶりは今でも覚えている。そのマゼールが、今度は”鬼才・マゼール”と呼ばれる大巨匠になってフェスティバルに戻って来たのだ。「お帰り、マゼール」なのである。
2つめの”ミュンヘンの素晴らしい音を堪能”は、こういう意味が含まれる・・・ミュンヘン・フィルは常に同じミュンヘンでのバイエルン放送響と比較される運命にある。歴史は圧倒的にミュンヘン・フィルの方が古いが、バイエルンより派手さに欠けるとよく言われる。そのことが人気を二分することになる。僕は昔から、あのラファエロ・クーベリックが指揮したバイエルンの音は好まない。それよりも、ミュンヘン・フィルの暖かく、丸味を持った、それでいて芯の太い王道のドイツ音楽を好む。地味なオーケストラは指揮者によっては凡庸に聞こえることもある。でもひとたび力を持ったマエストロの前では実力の2倍も、3倍にもの響きを聴かせることがある。この夜のミュンヘン・フィルがまさしくそうであった。”鬼才・マゼール”がその音を思う存分に引き出し、披露したのだ。最近にも同じことを経験した。TVで見たN響でのマゼールの客演、普段、上手いが心に響かないN響の音が、響きに響きわたったのを。 このことはロリン・マゼールという指揮者にオーラーが漂い、”カリスマ性”が備わっているということに他ならない。
のしのしと確認するように歩調を進め、何度も何度もアンコールを受けた巨匠、ブルックナーでは楽章の合い間に小さいコップの水を口に含めたマエストロ、演奏会が終わり、深々とおじぎをして花束を持ちながら舞台わきに消えて行ったロリン・マゼール、ずっと忘れないだろう。
「マゼールの元気な姿を見、ミュンヘンの素晴らしい音を堪能して、今宵は最高の演奏会であった」と昨夜、印象を書いた。
これはどういうことを意味するのか。オーケストラの音を絶賛して、ロリン・マゼールの指揮ぶりを評価しないのか。このことは2つの意味が含まれる。
ひとつに”マゼールの元気な姿を見”は・・・感慨が人一倍こもっているからである。1974年5月20日、今から39年前、同じここフェスティバルホールでマゼールの指揮を見た。44歳の若きマゼールはアメリカの実力オーケストラクリーヴランド管弦楽団を引き連れてやってきた。そしてベートーヴェンの第4番とベルリオーズの幻想交響曲を聴いた。このときはまさにあのジョージ・セルが鍛え上げた、潔癖さを誇る、研ぎ澄まされた”クリーヴランド・サウンド”に魅了された。指揮者マゼールの存在は正直言ってその影に隠れた。でも溌剌としたあの指揮ぶりは今でも覚えている。そのマゼールが、今度は”鬼才・マゼール”と呼ばれる大巨匠になってフェスティバルに戻って来たのだ。「お帰り、マゼール」なのである。
2つめの”ミュンヘンの素晴らしい音を堪能”は、こういう意味が含まれる・・・ミュンヘン・フィルは常に同じミュンヘンでのバイエルン放送響と比較される運命にある。歴史は圧倒的にミュンヘン・フィルの方が古いが、バイエルンより派手さに欠けるとよく言われる。そのことが人気を二分することになる。僕は昔から、あのラファエロ・クーベリックが指揮したバイエルンの音は好まない。それよりも、ミュンヘン・フィルの暖かく、丸味を持った、それでいて芯の太い王道のドイツ音楽を好む。地味なオーケストラは指揮者によっては凡庸に聞こえることもある。でもひとたび力を持ったマエストロの前では実力の2倍も、3倍にもの響きを聴かせることがある。この夜のミュンヘン・フィルがまさしくそうであった。”鬼才・マゼール”がその音を思う存分に引き出し、披露したのだ。最近にも同じことを経験した。TVで見たN響でのマゼールの客演、普段、上手いが心に響かないN響の音が、響きに響きわたったのを。
のしのしと確認するように歩調を進め、何度も何度もアンコールを受けた巨匠、ブルックナーでは楽章の合い間に小さいコップの水を口に含めたマエストロ、演奏会が終わり、深々とおじぎをして花束を持ちながら舞台わきに消えて行ったロリン・マゼール、ずっと忘れないだろう。
by kirakuossan
| 2013-04-17 09:57
| クラシック
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