2013年 03月 10日
東北一軒宿めぐり |
2013年3月10日(日)
北八甲田山
明治三十五年一月末の八甲田山では、青森第八師団第五連隊の将兵二百十人が、田代平に向かって雪中行軍した時、風雪の中で二十四日、二十五日と露営、二十六日に、各自が四散して十一名をのぞく全員が雪の谷間に死んだのだが、この複雑な小さな沢、高度を増すにつれて風当たりが強いためか、背が低くなってゆく樹々を見ると、これらがすべて雪に埋もれたとき、道に迷うのも無理ないと思われた。<略>
酸ケ湯から大岳への道は、これも急坂の地獄谷という大きな崩壊地形や渓流をわたったりするが、天候が前回とまったく同じに、強風と霧で、この日本列島の北の山が、太平洋と日本海を両方に控え、いかに気象の変化が多いかを知った。<略>
風はいよいよ吹きまくり、そうそうに井戸岳との鞍部のヒュッテに逃げこんで昼食。赤倉山への道は嵐がおさまって濃霧となって視界一〇メートル。時々の霧の晴れ間に崩壊地形の谷が見える。ミヤマハンショウヅルもミヤマオダマキも花がらとなっている。田茂藪に向かう根曲がり竹の薮の中でやっとうす陽がさして、湿原の中に入ってサワラン、モウセンゴケなどをさがしたかったが、ロープウエイを眼の前にすると、早く冷えきったからだを温泉に入れたくて駈け出してしまった。 『新・花の百名山』(田中澄江著)より
酸ケ湯(すかゆ)といえば、記憶にも新しい先月、5m66cmの積雪記録を更新したところだ。
八甲田山は、複数火山の総称で日本百名山の一つにあげられる。本州最北部にある火山群で、火山活動は今は穏やかだが、周辺は世界でも有数の豪雪地帯とされる。その山麓に酸ケ湯温泉がある。、300年も昔から開かれている一軒宿の温泉で、”ヒバ千人風呂”が有名だ。周辺には数多くの温泉群が点在していて、もうすこし東南の十和田湖方面へ進むと、文人墨客が訪れるにふさわしい風情ある温泉宿がある。ここも一軒宿の蔦温泉旅館だ。
蔦温泉は、久安3年(1147)には既にこの地に湯治小屋があったことが文献に残っているほどの古湯。明治41年(1908)、大町桂月が初めてここに投宿。十和田湖から奥入瀬渓流沿いに歩いて蔦温泉に到着した。その秋、雑誌『太陽』に紀行文を発表、十和田の名を一躍全国に知らしめるきっかけとなった。また、昭和44年(1969)、新婚旅行で宿泊した作詞家・岡本おさみが、この旅館のイメージをもとに一篇の詩をしたためた。後に、その詩が吉田拓郎と出逢い、「旅の宿」という歌が生まれたらしい。
4月下旬にtuttiを起点にして、秋田の一軒宿の鶴の湯温泉、そしてこの蔦温泉、さらに山形の蔵王温泉への旅に出かける計画だ。
その前に、今月15日に奥飛騨温泉に一泊して、蓼科へこもる予定だ。
北八甲田山
明治三十五年一月末の八甲田山では、青森第八師団第五連隊の将兵二百十人が、田代平に向かって雪中行軍した時、風雪の中で二十四日、二十五日と露営、二十六日に、各自が四散して十一名をのぞく全員が雪の谷間に死んだのだが、この複雑な小さな沢、高度を増すにつれて風当たりが強いためか、背が低くなってゆく樹々を見ると、これらがすべて雪に埋もれたとき、道に迷うのも無理ないと思われた。<略>
酸ケ湯から大岳への道は、これも急坂の地獄谷という大きな崩壊地形や渓流をわたったりするが、天候が前回とまったく同じに、強風と霧で、この日本列島の北の山が、太平洋と日本海を両方に控え、いかに気象の変化が多いかを知った。<略>
風はいよいよ吹きまくり、そうそうに井戸岳との鞍部のヒュッテに逃げこんで昼食。赤倉山への道は嵐がおさまって濃霧となって視界一〇メートル。時々の霧の晴れ間に崩壊地形の谷が見える。ミヤマハンショウヅルもミヤマオダマキも花がらとなっている。田茂藪に向かう根曲がり竹の薮の中でやっとうす陽がさして、湿原の中に入ってサワラン、モウセンゴケなどをさがしたかったが、ロープウエイを眼の前にすると、早く冷えきったからだを温泉に入れたくて駈け出してしまった。 『新・花の百名山』(田中澄江著)より
酸ケ湯(すかゆ)といえば、記憶にも新しい先月、5m66cmの積雪記録を更新したところだ。
八甲田山は、複数火山の総称で日本百名山の一つにあげられる。本州最北部にある火山群で、火山活動は今は穏やかだが、周辺は世界でも有数の豪雪地帯とされる。その山麓に酸ケ湯温泉がある。、300年も昔から開かれている一軒宿の温泉で、”ヒバ千人風呂”が有名だ。周辺には数多くの温泉群が点在していて、もうすこし東南の十和田湖方面へ進むと、文人墨客が訪れるにふさわしい風情ある温泉宿がある。ここも一軒宿の蔦温泉旅館だ。
蔦温泉は、久安3年(1147)には既にこの地に湯治小屋があったことが文献に残っているほどの古湯。明治41年(1908)、大町桂月が初めてここに投宿。十和田湖から奥入瀬渓流沿いに歩いて蔦温泉に到着した。その秋、雑誌『太陽』に紀行文を発表、十和田の名を一躍全国に知らしめるきっかけとなった。また、昭和44年(1969)、新婚旅行で宿泊した作詞家・岡本おさみが、この旅館のイメージをもとに一篇の詩をしたためた。後に、その詩が吉田拓郎と出逢い、「旅の宿」という歌が生まれたらしい。
4月下旬にtuttiを起点にして、秋田の一軒宿の鶴の湯温泉、そしてこの蔦温泉、さらに山形の蔵王温泉への旅に出かける計画だ。
その前に、今月15日に奥飛騨温泉に一泊して、蓼科へこもる予定だ。
by kirakuossan
| 2013-03-10 07:08
| 新日本紀行
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