2013年 01月 22日
行って来たで!日本★Vol.2 会津若松「ありがとなし」 |
2013年1月21日(月)
会津は雪の中、街は「八重の桜」一色であった。 JR会津若松駅は只見線と磐越西線(郡山行)の発着駅。だいたい1時間に1本、ラッシュ時でも3本程度。いまちょうど14:14発「快速あいづライナー4号」郡山行きが発車するところ。ここ会津若松駅のライブカメラは有名で全国のファンが多い。わざわざ入場券を買って入る。
東北道は一部区間で除雪車が入る。時速50kmとじりじりするが、制限速度が50kmなので仕方ない。運悪くというか、運よくというか、除雪車の直ぐお尻に着いてしまった。安全運転間違いなし。
白虎隊はここ飯盛山から街中を見下ろし鶴ヶ城が炎上していると思い、自決を決意した。20名中1名が生き残り、後々に語り継いだ。”行きはよいよい、帰りは怖い”ところであった。最初はエスカレーターで、降りるときはつるつるに凍った道を恐る恐る下山。
東山温泉一番の老舗旅館で会津藩指定保養所の歴史を持つ「向瀧」。雰囲気のある旅館でじゃらんで調べたらすでに満室だった。
宿泊の「新滝」は会津藩松平家の別荘から発祥した旅館で、玄関前に与謝野晶子の歌碑があり、竹久夢二ゆかりの湯でもある。
旅館から見える町並みの雪景色は、まるで小生の好きな画家福井良之助の「雪景」そのものだ。
鶴ヶ城天守閣から見下ろす会津の町は雪をかぶり四方八方絶景である。名峰・磐梯山を遠くに望む。
鶴ヶ城公園は足跡一つない。
創業1850年の造り酒屋「末廣」。嘉永蔵と呼ばれる。野口英世と親戚関係となり縁が深い。仕込み蔵の上にある大広間には彼の書(左)、また城主松平容保(右)や徳川慶喜の書も展示してある。
旅館「新滝」の振る舞い酒で口にしたが、なかなかの美味な本醸造酒である。もちろん一本ご購入と相成る。かみさんは大吟醸、吟醸酒、純米酒と試飲(うらやましい・・・)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そして今回訪問のもうひとつのメーン「龍上海」へ。
会津から北へ、雪深い121号線の大峠を越え、雪国米沢をとおり、南陽市赤湯に。会津から車で1時間40分。あこがれの赤湯から味噌ラーメンはそこにあった。
そして赤湯温泉。開湯は約900年前源義綱が発見したとされる。てっきりお湯の色が鉄分かなんかで赤いと思っていたが、透明であった。家臣達がこの温泉で傷を癒した際、傷から出た血でお湯が真っ赤になったことから赤湯と呼ばれるようになったという。それで納得
共同浴場とわの湯に入って驚いた。”ぬる湯”と”あつ湯”に分かれているが、お湯の熱いこと熱いこと。今までで最も熱い湯だ。店の人に聞くとぬる湯で42.6℃、”あつ湯”はなんと45.6℃と云う。ほら熱いはず。
お湯5・雰囲気3・自然度(設備)3・清潔感4・サービス3・全体評5・・・23
泉質:ナトリウム・カルシウム - 塩化物泉、源泉温度:63℃
宿泊の「新滝」は会津藩松平家の別荘から発祥した旅館で、玄関前に与謝野晶子の歌碑があり、竹久夢二ゆかりの湯でもある。
鶴ヶ城公園は足跡一つない。
旅館「新滝」の振る舞い酒で口にしたが、なかなかの美味な本醸造酒である。もちろん一本ご購入と相成る。かみさんは大吟醸、吟醸酒、純米酒と試飲(うらやましい・・・)
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そして今回訪問のもうひとつのメーン「龍上海」へ。
会津から北へ、雪深い121号線の大峠を越え、雪国米沢をとおり、南陽市赤湯に。会津から車で1時間40分。あこがれの赤湯から味噌ラーメンはそこにあった。
そして赤湯温泉。開湯は約900年前源義綱が発見したとされる。てっきりお湯の色が鉄分かなんかで赤いと思っていたが、透明であった。家臣達がこの温泉で傷を癒した際、傷から出た血でお湯が真っ赤になったことから赤湯と呼ばれるようになったという。それで納得
共同浴場とわの湯に入って驚いた。”ぬる湯”と”あつ湯”に分かれているが、お湯の熱いこと熱いこと。今までで最も熱い湯だ。店の人に聞くとぬる湯で42.6℃、”あつ湯”はなんと45.6℃と云う。ほら熱いはず。
お湯5・雰囲気3・自然度(設備)3・清潔感4・サービス3・全体評5・・・23
泉質:ナトリウム・カルシウム - 塩化物泉、源泉温度:63℃
by kirakuossan
| 2013-01-22 00:00
| 新日本紀行
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