2013年 01月 14日
東と西から黒雲 |
2013年1月14日(月)
日清・日露の勝利からあとの敗戦に向けてまでの日本、そして取り巻く各国の思惑と動きについて、渡部昇一著の『日本史<決定版>⑱では克明に記されている。
要約してゆくと・・・
<アメリカとの対立>
アメリカが日本を敵視するようになったのは、世界史をよく知っていたからである。世界の歴史では、陸上の戦いより、海上の戦いの方が文明の戦いであり、その勝敗が後の文明のあり方を決する。
「古くは紀元前480年に行われたサラミスの戦いである。このときペルシャの海軍がアテネの海軍に滅ぼされ、ペルシャは地中海に出てこなくなった。その後、イスラムが地中海に力を持つ中世の時代になるが、1571年のレパントの戦いでトルコ海軍がベニスやスペインの連合艦隊に大敗して、地中海はキリスト教の支配する海になる。それから、植民地争奪戦の時代、1588年にイスパニアは無敵艦隊を失い、植民地競争からずり落ちる。1805年のトラファルガーの戦いでネルソンに負けたナポレオン、すなわちフランスは、植民地競争でイギリスに追い落とされてしまう。そしてアメリカ独立を妨げようとしたイギリスは、アメリカ海軍を滅ぼすことができなかったために、ついに独立を認めざるを得なかった。その後、アメリカは独立してスペインと戦い、スペイン海軍を打ち破ってカリフォルニアを含む南部のいくつかの州とフィリピンを手に入れる。すべて海軍の戦いの勝敗で時代が大きく動いている。それだけに、日本海海戦で日本の連合艦隊がロシア艦隊を撃破したとのニュースはアメリカに衝撃を与えた。」
建国の基盤に疑いなく”人種差別”が存在したアメリカにとっては・・・
「アジアの片隅の有色人種が白人最大の帝国を海上戦で破った。それを聞いたアメリカのいちばん奥の院にいて政治的な知識のある人々の間に、日本は滅ぼさなければならない国になったという合意ができたと思うのである。」
それから日米間の亀裂は広がって行く。アメリカは日本がヨーロッパの戦争の間に火事場泥棒のようにシナに手を伸ばそうとしているのではないか、と邪推する。そして<絶対的排日移民法>なるものを作り、日本の移民の迫害をするようになり、露骨に人種差別的な動きに出てくるようになる。
「日本から見れば、これは東から黒い雲が湧きあがってきたという感じであった。昭和天皇は、対米戦争の遠因として日本人の移民およびその迫害の問題を挙げ、近因として石油をとめられたことを挙げておられるが、それは確かな分析である。それまでは日本人は、ずっとアメリカに好意を持っていて、多くの日本人がアメリカに留学していた。アメリカかぶれに近いほどアメリカが好きだったのである。ところが、突然ほっぺたをひっぱたかれるように、アメリカが日本を憎んでいるということに気づかされたのである。」
<ロシア革命の影響>
一方、西の方からも黒い雲が立ち込めてきた。1917年のロシア革命である。
「ロシアは自分たちの国の中だけに革命を留めておかず、その革命を世界中に輸出して、世界から”国家”をなくしてしまうという理想を持っていたのである。そしてまずドイツのソヴィエト化をもくろむが失敗し、次にアジアに手を伸ばしてきた。これから後、日本とシナの間に起こる満州事変およびシナ事変ほかの軍事衝突の背後には、必ずといっていいほどコミンテルン、ロシアの工作隊の手が回っていたのである。」
この一連のコミンテルン(共産主義政党による国際組織、別名第三インターナショナル)の思想が日本にも入ってくるようになり、共産党の代わりに日本で大きな力を持ったのは、右翼の社会主義者たちといわれている。
「第一次大戦後の日本は資本主義が栄えた時代で、そこに共産主義的な思想が入ると、社会体制を変えなければならないという発想になる。それが”昭和維新新思想”であるが、これは簡単にいえば、皇室と民衆の間の階級は要らないということである。昭和維新を唱える右翼の社会主義者たちは、元老とか、貴族とか、地主とか、資本家などは要らないのだと主張したのである。」
つづく---
日清・日露の勝利からあとの敗戦に向けてまでの日本、そして取り巻く各国の思惑と動きについて、渡部昇一著の『日本史<決定版>⑱では克明に記されている。
要約してゆくと・・・
<アメリカとの対立>
アメリカが日本を敵視するようになったのは、世界史をよく知っていたからである。世界の歴史では、陸上の戦いより、海上の戦いの方が文明の戦いであり、その勝敗が後の文明のあり方を決する。
「古くは紀元前480年に行われたサラミスの戦いである。このときペルシャの海軍がアテネの海軍に滅ぼされ、ペルシャは地中海に出てこなくなった。その後、イスラムが地中海に力を持つ中世の時代になるが、1571年のレパントの戦いでトルコ海軍がベニスやスペインの連合艦隊に大敗して、地中海はキリスト教の支配する海になる。それから、植民地争奪戦の時代、1588年にイスパニアは無敵艦隊を失い、植民地競争からずり落ちる。1805年のトラファルガーの戦いでネルソンに負けたナポレオン、すなわちフランスは、植民地競争でイギリスに追い落とされてしまう。そしてアメリカ独立を妨げようとしたイギリスは、アメリカ海軍を滅ぼすことができなかったために、ついに独立を認めざるを得なかった。その後、アメリカは独立してスペインと戦い、スペイン海軍を打ち破ってカリフォルニアを含む南部のいくつかの州とフィリピンを手に入れる。すべて海軍の戦いの勝敗で時代が大きく動いている。それだけに、日本海海戦で日本の連合艦隊がロシア艦隊を撃破したとのニュースはアメリカに衝撃を与えた。」
建国の基盤に疑いなく”人種差別”が存在したアメリカにとっては・・・
「アジアの片隅の有色人種が白人最大の帝国を海上戦で破った。それを聞いたアメリカのいちばん奥の院にいて政治的な知識のある人々の間に、日本は滅ぼさなければならない国になったという合意ができたと思うのである。」
それから日米間の亀裂は広がって行く。アメリカは日本がヨーロッパの戦争の間に火事場泥棒のようにシナに手を伸ばそうとしているのではないか、と邪推する。そして<絶対的排日移民法>なるものを作り、日本の移民の迫害をするようになり、露骨に人種差別的な動きに出てくるようになる。
「日本から見れば、これは東から黒い雲が湧きあがってきたという感じであった。昭和天皇は、対米戦争の遠因として日本人の移民およびその迫害の問題を挙げ、近因として石油をとめられたことを挙げておられるが、それは確かな分析である。それまでは日本人は、ずっとアメリカに好意を持っていて、多くの日本人がアメリカに留学していた。アメリカかぶれに近いほどアメリカが好きだったのである。ところが、突然ほっぺたをひっぱたかれるように、アメリカが日本を憎んでいるということに気づかされたのである。」
<ロシア革命の影響>
一方、西の方からも黒い雲が立ち込めてきた。1917年のロシア革命である。
「ロシアは自分たちの国の中だけに革命を留めておかず、その革命を世界中に輸出して、世界から”国家”をなくしてしまうという理想を持っていたのである。そしてまずドイツのソヴィエト化をもくろむが失敗し、次にアジアに手を伸ばしてきた。これから後、日本とシナの間に起こる満州事変およびシナ事変ほかの軍事衝突の背後には、必ずといっていいほどコミンテルン、ロシアの工作隊の手が回っていたのである。」
この一連のコミンテルン(共産主義政党による国際組織、別名第三インターナショナル)の思想が日本にも入ってくるようになり、共産党の代わりに日本で大きな力を持ったのは、右翼の社会主義者たちといわれている。
「第一次大戦後の日本は資本主義が栄えた時代で、そこに共産主義的な思想が入ると、社会体制を変えなければならないという発想になる。それが”昭和維新新思想”であるが、これは簡単にいえば、皇室と民衆の間の階級は要らないということである。昭和維新を唱える右翼の社会主義者たちは、元老とか、貴族とか、地主とか、資本家などは要らないのだと主張したのである。」
つづく---
by kirakuossan
| 2013-01-14 15:23
| ヒストリー
|
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