2012年 11月 25日
柿蔭山房 |
2012年11月25日(日)
雪ふれば山より下る小鳥多し障子の外に日ねもす聞ゆ 赤彦
諏訪の歌人島木赤彦は明治33年久保田家の養子となり、亡くなる8年前から、ここ「柿蔭山房」に起居する。庭の中央には彼が愛惜した樹齢300年の赤松が堂々とした姿で現れた。裏山には久保田家代々の墓地があり、そのもう一段上に赤彦と妻不二子の墓が仲良く並んでいた。なお赤彦の生地はさらに上諏訪寄りの、ちょうど蔵元真澄の近くにあるが、日もだいぶ落ちてきたのでまたの機会に訪れよう。
彼が柿の色が大好きで「柿蔭山房」と名付けた居地は諏訪湖が鮮やかに望める高台にあった。
雪ふれば山より下る小鳥多し障子の外に日ねもす聞ゆ 赤彦
諏訪の歌人島木赤彦は明治33年久保田家の養子となり、亡くなる8年前から、ここ「柿蔭山房」に起居する。庭の中央には彼が愛惜した樹齢300年の赤松が堂々とした姿で現れた。裏山には久保田家代々の墓地があり、そのもう一段上に赤彦と妻不二子の墓が仲良く並んでいた。なお赤彦の生地はさらに上諏訪寄りの、ちょうど蔵元真澄の近くにあるが、日もだいぶ落ちてきたのでまたの機会に訪れよう。
by kirakuossan
| 2012-11-25 23:24
| 文芸
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