2012年 11月 18日
静かな入江の村が生んだ二人の芸術家 |
2012年11月18日(日)
先日岡山へ行ったとき、備前焼大家の藤原啓(1899~1983)の窯元を訪れる。備前市穂浪の瀬戸内海の入江を見下ろす高台にあるその場所は、記念館とギャラリーが併設されている。
この藤原という人、若い時から俳句や小説の才能を発揮し、同郷の正宗白鳥の強い影響も受けて、最初は文学者になろうとした。29歳の時には生田春月との共著で「ハイネの訳詩集」を出版したりしている。
しかし、のちに自己の文学に限界を感じ強度の精神衰弱に陥る。そこで故郷の備前に戻り、近隣に住む正宗白鳥の弟で万葉学者の敦夫の勧めで、陶芸・備前焼の道を歩み始める。40歳からの遅いスタートであったが、古備前復興の継承に尽力し、70歳で人間国宝に認定され、作陶の生涯で大成した。
そのあと正宗白鳥の生誕の家を訪れた。
備前焼の窯元が集まっている伊部地区一画の道路沿いに案内板は見たが、付近に跡地らしいものが見当たらずやむなく戻ってきた。
白鳥は「人間嫌い」という作品のなかで備前焼について述べている。
骨董品と云へば、私の所にも、古い備前焼の徳利が一つある。私の故郷の隣村の伊部といふ、古代から陶器の製造で有名な土地の産物である。この地の陶品は赭い色をした無意気なものだが、私の持ってゐる徳利は、煤けた色をしてゐる。酒を入れるための実用的器具で、無論おしゃれの芸術品ではないのだが、今の目で見ると、煤けた趣きに雅致があると思へば思はれないこともない。・・・有難味をつけて、その気持ちになって見ると、鰯の頭も信心からといふ訳で、この古徳利も芸術の光を放ってゐるやうである。
正宗白鳥(1879~1962)の生誕地は瀬戸内海に面した小さな漁村で、静かな入江のほとりにあって海辺というより湖畔という感じがする所だ。実家は江戸時代には地域でも有数の網元で、代々文学的教養を重んじた家であったという。
白鳥文学は全く知らないが、調べてみると、ほかの文学者にはないものを持った魅力ある小説家、というか評論家ということがわかる。
この人は文学というメソッドよりももっと大切な第一義的のものを、終生見つめて生きたのであろう。それによってこそは白鳥の文学は、自然主義はもとより、日本におけるいわゆる「近代」をはるかに越えた、類のない高い世界を達成しているのである。(山本遺太郎:岡山の文学アルバム)
白鳥が欠けたら、いくら漱石がいたとしても、およそ近代日本文学はつまらないものになったであろう。(文学者・大嶋仁)
これはまた読まなくてはならない。
先日岡山へ行ったとき、備前焼大家の藤原啓(1899~1983)の窯元を訪れる。備前市穂浪の瀬戸内海の入江を見下ろす高台にあるその場所は、記念館とギャラリーが併設されている。
この藤原という人、若い時から俳句や小説の才能を発揮し、同郷の正宗白鳥の強い影響も受けて、最初は文学者になろうとした。29歳の時には生田春月との共著で「ハイネの訳詩集」を出版したりしている。
しかし、のちに自己の文学に限界を感じ強度の精神衰弱に陥る。そこで故郷の備前に戻り、近隣に住む正宗白鳥の弟で万葉学者の敦夫の勧めで、陶芸・備前焼の道を歩み始める。40歳からの遅いスタートであったが、古備前復興の継承に尽力し、70歳で人間国宝に認定され、作陶の生涯で大成した。
そのあと正宗白鳥の生誕の家を訪れた。
備前焼の窯元が集まっている伊部地区一画の道路沿いに案内板は見たが、付近に跡地らしいものが見当たらずやむなく戻ってきた。
白鳥は「人間嫌い」という作品のなかで備前焼について述べている。
骨董品と云へば、私の所にも、古い備前焼の徳利が一つある。私の故郷の隣村の伊部といふ、古代から陶器の製造で有名な土地の産物である。この地の陶品は赭い色をした無意気なものだが、私の持ってゐる徳利は、煤けた色をしてゐる。酒を入れるための実用的器具で、無論おしゃれの芸術品ではないのだが、今の目で見ると、煤けた趣きに雅致があると思へば思はれないこともない。・・・有難味をつけて、その気持ちになって見ると、鰯の頭も信心からといふ訳で、この古徳利も芸術の光を放ってゐるやうである。
正宗白鳥(1879~1962)の生誕地は瀬戸内海に面した小さな漁村で、静かな入江のほとりにあって海辺というより湖畔という感じがする所だ。実家は江戸時代には地域でも有数の網元で、代々文学的教養を重んじた家であったという。
白鳥文学は全く知らないが、調べてみると、ほかの文学者にはないものを持った魅力ある小説家、というか評論家ということがわかる。
この人は文学というメソッドよりももっと大切な第一義的のものを、終生見つめて生きたのであろう。それによってこそは白鳥の文学は、自然主義はもとより、日本におけるいわゆる「近代」をはるかに越えた、類のない高い世界を達成しているのである。(山本遺太郎:岡山の文学アルバム)
白鳥が欠けたら、いくら漱石がいたとしても、およそ近代日本文学はつまらないものになったであろう。(文学者・大嶋仁)
これはまた読まなくてはならない。
by kirakuossan
| 2012-11-18 09:55
| 文芸
|
Trackback