2012年 10月 14日
『文学ときどき酒』を読んで |
2012年10月14日(日)
評論家で芥川賞作家の丸谷才一氏が昨日亡くなった。いま偶然丸谷氏の対談集『文学ときどき酒』を読んでいるところだった。
好きな河上徹太郎との対談「吉田健一の生き方」のなかで・・・
河上
ぼくはね、健一が死ぬ前まで、「おい、句読点抜きはよせよ」って言ってたけれども、あなたのご意見はいかがです。健一自身は『源氏物語』みたいに通じる気でいたみたいだけれど、たしかに通じますよ。彼はあの文体の暢達には自信があって、それは十分認めます。しかし、読者は時間をとりますね。句読点がない文章というのは。そんな手間をかけては失礼だというのです。
丸谷
あれは読者が句読点をつけながら読むということなんでしょうね。そのとき具体的な点を打ってみようとすると、句点のところは切ってあるから読点を打つわけですが、それがいわゆる読点では駄目で、読点の白抜きみたいなものを頭の中に用意しておいて、それをところどころに押していく。そういう操作を読者に要求するのが吉田さんの文章だったと思うんです。
僕も一時よく読んでみたが、たしかに吉田健一の文章は、ついついタラタラ読んでしまい、一回では理解できずに読み直すことになる。
たとえばこんな風だ。、
・・・昔は東京にも小料理屋、おでん屋、飲み屋という風なものがあって今はもうないということにはならないのかも知れなくても例えば小料理屋は、もしそれがまずくて話にならない店でなければ東京風に高級料亭というようなどこの国のものか解らない言葉を使わなければならないものにいつの間にかなっていて、ただ小さな店でそこの主人か板前が腕にものを言わせて旨いものを客に食べさせるということになれば東京にそういう店はもうない。・・・
『私の食物誌』より「大阪の小料理屋」より
この独特の言い回しの文章を丸谷才一氏は実に的確にこの対談の中でこのように表現した。この人の小説は全く知らないが、エッセイや対談集を読んでいて常に惹かれる何かを持った文学者のように感じられたものだ。
この対談でも河上氏、丸谷氏とも吉田氏に対しての愛情と、尊敬の念が伝わってくる。白洲正子の随筆のなかで以前読んだことがあるが、親しい仲間のひとり小林秀雄は吉田健一を相手にしなかったらしいことが書いてあったが、僕はそんな小林より吉田、河上、そして丸谷氏の方に魅かれる。
評論家で芥川賞作家の丸谷才一氏が昨日亡くなった。いま偶然丸谷氏の対談集『文学ときどき酒』を読んでいるところだった。
好きな河上徹太郎との対談「吉田健一の生き方」のなかで・・・
河上
ぼくはね、健一が死ぬ前まで、「おい、句読点抜きはよせよ」って言ってたけれども、あなたのご意見はいかがです。健一自身は『源氏物語』みたいに通じる気でいたみたいだけれど、たしかに通じますよ。彼はあの文体の暢達には自信があって、それは十分認めます。しかし、読者は時間をとりますね。句読点がない文章というのは。そんな手間をかけては失礼だというのです。
丸谷
あれは読者が句読点をつけながら読むということなんでしょうね。そのとき具体的な点を打ってみようとすると、句点のところは切ってあるから読点を打つわけですが、それがいわゆる読点では駄目で、読点の白抜きみたいなものを頭の中に用意しておいて、それをところどころに押していく。そういう操作を読者に要求するのが吉田さんの文章だったと思うんです。
僕も一時よく読んでみたが、たしかに吉田健一の文章は、ついついタラタラ読んでしまい、一回では理解できずに読み直すことになる。
たとえばこんな風だ。、
・・・昔は東京にも小料理屋、おでん屋、飲み屋という風なものがあって今はもうないということにはならないのかも知れなくても例えば小料理屋は、もしそれがまずくて話にならない店でなければ東京風に高級料亭というようなどこの国のものか解らない言葉を使わなければならないものにいつの間にかなっていて、ただ小さな店でそこの主人か板前が腕にものを言わせて旨いものを客に食べさせるということになれば東京にそういう店はもうない。・・・
『私の食物誌』より「大阪の小料理屋」より
この独特の言い回しの文章を丸谷才一氏は実に的確にこの対談の中でこのように表現した。この人の小説は全く知らないが、エッセイや対談集を読んでいて常に惹かれる何かを持った文学者のように感じられたものだ。
この対談でも河上氏、丸谷氏とも吉田氏に対しての愛情と、尊敬の念が伝わってくる。白洲正子の随筆のなかで以前読んだことがあるが、親しい仲間のひとり小林秀雄は吉田健一を相手にしなかったらしいことが書いてあったが、僕はそんな小林より吉田、河上、そして丸谷氏の方に魅かれる。
by kirakuossan
| 2012-10-14 06:25
| 文芸
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