2012年 06月 01日
「LP300選」 |
2012年6月1日(金)
吉田秀和氏の書物でもう一冊の愛読書がある。今から50年も前に執筆された「わたしの音楽室」だ。この本は後に「LP300選」という新潮の文庫本として昭和56年に発刊された。もう30年も前に手にした本で、すっかり日焼けしている。今はちくま文庫の「名曲300選」としても再発刊され、同じ内容だが2冊もって愛用している。吉田氏がまだ50歳前の若々しいころに書かれたもので瑞々しい文章だ。それでいて、いい意味で少し肩に力が入り、一生懸命書きあげた一冊であることが読者に伝わってくる。冒頭のプロローグにこう書いてある。
---音楽の歴史とまでは、私の力では、とてもゆかないにきまっているが、<名曲の歴史>なら、少しは何とかなるかもしれない。私は、やってみることにする。そうだ、私は、もう一つ、ことわっておくべきだったのだ。これは、<音楽の歴史>ではない。<LP名曲三〇〇選>なのである。---
著者は謙遜で云っているが、いやいやなかなかどうして、この本は、立派な<音楽の歴史>としても読むことができる。
「第一曲に、何をえらぶべきだろう?ふるいところからはじめるとして、音楽の起源にふさわしいものといえば、何であろうか?・・・」の書きだし。そして、「記録があり、解読でき、今も昔にかわらず生きつづけている最も古い音楽。それは『グレゴリウス聖歌』である」としてこの書物は始まってゆく。
ヨーロッパ建築としてのロマネスク様式は、ゴシックとともに、ヨーロッパの精神の精華であるだけでなく、その中核を占める。十七世紀以後のヨーロッパの歴史は、ヨーロッパが世界の中枢へ前進してゆく過程を示すものだろうが、十世紀から十五、十六世紀までのそれは、ヨーロッパがヨーロッパであり、ヨーロッパとなった姿を、もっと純粋にものがたっている。グレゴリウス聖歌は、そのロマネスク建築に対応する音楽である。人間の声に発する音楽として、まず、グレゴリウス聖歌をききたまえ。
そして、ネーデルランド楽派からイタリア・ルネサンスへ進み、馴染み深い、バロック音楽に辿り着く。
≪バロック≫という言葉、これは一五五〇年から一七五〇年にいたる二世紀の時代、つまり、カトリックの反宗教改革の運動と、ほぼ平行しておこったものである。特徴は、まず、音楽の色彩的な効果の重視にあらわれる。先にみた、ガブリエーリらのヴェネツィア楽派の複合唱交唱様式はまさにそれにあたる。もう一つは、モンテヴェルディやジェスアルドらの半音階的和声の重用で、半音階的―つまり、クロマティックという、元来がギリシア語に発する言葉そのものが、すでに、色彩的という意味をもつ。
サンフランシスコからのインターネット放送・KDFCを小耳にはさみながら読んでいると、ふくよかな抒情に溢れるピアノ曲が流れてきた。自由気ままにシューベルトが書きつづったピアノの小品曲集、「4つの即興曲」Op. 142 D. 935 - 第3番 変ロ長調だ。彼は二つの「4つの即興曲」を書いており合わせて8曲からなる即興曲集がこれは後半の方の4曲である。以前にも勿論聴いたことはあるが、なぜか今宵はいつになくロマンティックな名作として聴こえる。
ところで吉田氏はこの本で、この即興曲を紹介しているだろうか?・・・探してみると、181ページに書いてあった。茶色に変色した紙にオレンジ色のマーカーも付けていた。
「あと、シューベルトでは、ピアノ・ソナタやヴァイオリンのソナチネに佳品があるが、私はここではまず、『楽興の時』と 『即興曲』をとりたい。これらの小品の全部が傑作だともいえないが、ベートーヴェンの『バガテル』の伝統をついで、つぎに来るべきロマン派のピアノ小品の世界への広い眺望をもたらす愛すべき窓だ。
ついでにちょっとシューベルトのところを読んでいくと、「未完成交響曲」の説明の次に、こう書いてある。
「ここでは、何んといっても、最大の作品は、『弦楽五重奏曲ハ長調』である。モーツアルトのそれとちがって、ヴァイオリン・二、ヴィオラ・一、チェロ・二の編成だが、シューベルトはこの編成をとることによって、単にチェロをよりよく歌わせるだけでなく、四重奏では、必ずしも、チェロがいつも低音を占めるわけでないという通則からふみだして、この弦楽合奏体を、もっと響きのゆたかな音響体にかえる。つまりは、和声の充実である。この曲では、特に、第一、第二楽章がすばらしい。『未完成』や歌曲だけで、彼を知っている人には、ぜひ、しっかりきいて、シューベルト的世界の烈しい深さとでもいったものを味わってほしい曲である。」
とあるので、早速、NMLで聴いてみた。1時間近くに及ぶ大曲である。初めて聴く曲だ。
吉田秀和氏の書物でもう一冊の愛読書がある。今から50年も前に執筆された「わたしの音楽室」だ。この本は後に「LP300選」という新潮の文庫本として昭和56年に発刊された。もう30年も前に手にした本で、すっかり日焼けしている。今はちくま文庫の「名曲300選」としても再発刊され、同じ内容だが2冊もって愛用している。吉田氏がまだ50歳前の若々しいころに書かれたもので瑞々しい文章だ。それでいて、いい意味で少し肩に力が入り、一生懸命書きあげた一冊であることが読者に伝わってくる。冒頭のプロローグにこう書いてある。
---音楽の歴史とまでは、私の力では、とてもゆかないにきまっているが、<名曲の歴史>なら、少しは何とかなるかもしれない。私は、やってみることにする。そうだ、私は、もう一つ、ことわっておくべきだったのだ。これは、<音楽の歴史>ではない。<LP名曲三〇〇選>なのである。---
著者は謙遜で云っているが、いやいやなかなかどうして、この本は、立派な<音楽の歴史>としても読むことができる。
「第一曲に、何をえらぶべきだろう?ふるいところからはじめるとして、音楽の起源にふさわしいものといえば、何であろうか?・・・」の書きだし。そして、「記録があり、解読でき、今も昔にかわらず生きつづけている最も古い音楽。それは『グレゴリウス聖歌』である」としてこの書物は始まってゆく。
ヨーロッパ建築としてのロマネスク様式は、ゴシックとともに、ヨーロッパの精神の精華であるだけでなく、その中核を占める。十七世紀以後のヨーロッパの歴史は、ヨーロッパが世界の中枢へ前進してゆく過程を示すものだろうが、十世紀から十五、十六世紀までのそれは、ヨーロッパがヨーロッパであり、ヨーロッパとなった姿を、もっと純粋にものがたっている。グレゴリウス聖歌は、そのロマネスク建築に対応する音楽である。人間の声に発する音楽として、まず、グレゴリウス聖歌をききたまえ。
そして、ネーデルランド楽派からイタリア・ルネサンスへ進み、馴染み深い、バロック音楽に辿り着く。
≪バロック≫という言葉、これは一五五〇年から一七五〇年にいたる二世紀の時代、つまり、カトリックの反宗教改革の運動と、ほぼ平行しておこったものである。特徴は、まず、音楽の色彩的な効果の重視にあらわれる。先にみた、ガブリエーリらのヴェネツィア楽派の複合唱交唱様式はまさにそれにあたる。もう一つは、モンテヴェルディやジェスアルドらの半音階的和声の重用で、半音階的―つまり、クロマティックという、元来がギリシア語に発する言葉そのものが、すでに、色彩的という意味をもつ。
サンフランシスコからのインターネット放送・KDFCを小耳にはさみながら読んでいると、ふくよかな抒情に溢れるピアノ曲が流れてきた。自由気ままにシューベルトが書きつづったピアノの小品曲集、「4つの即興曲」Op. 142 D. 935 - 第3番 変ロ長調だ。彼は二つの「4つの即興曲」を書いており合わせて8曲からなる即興曲集がこれは後半の方の4曲である。以前にも勿論聴いたことはあるが、なぜか今宵はいつになくロマンティックな名作として聴こえる。
ところで吉田氏はこの本で、この即興曲を紹介しているだろうか?・・・探してみると、181ページに書いてあった。茶色に変色した紙にオレンジ色のマーカーも付けていた。
「あと、シューベルトでは、ピアノ・ソナタやヴァイオリンのソナチネに佳品があるが、私はここではまず、『楽興の時』と 『即興曲』をとりたい。これらの小品の全部が傑作だともいえないが、ベートーヴェンの『バガテル』の伝統をついで、つぎに来るべきロマン派のピアノ小品の世界への広い眺望をもたらす愛すべき窓だ。
ついでにちょっとシューベルトのところを読んでいくと、「未完成交響曲」の説明の次に、こう書いてある。
「ここでは、何んといっても、最大の作品は、『弦楽五重奏曲ハ長調』である。モーツアルトのそれとちがって、ヴァイオリン・二、ヴィオラ・一、チェロ・二の編成だが、シューベルトはこの編成をとることによって、単にチェロをよりよく歌わせるだけでなく、四重奏では、必ずしも、チェロがいつも低音を占めるわけでないという通則からふみだして、この弦楽合奏体を、もっと響きのゆたかな音響体にかえる。つまりは、和声の充実である。この曲では、特に、第一、第二楽章がすばらしい。『未完成』や歌曲だけで、彼を知っている人には、ぜひ、しっかりきいて、シューベルト的世界の烈しい深さとでもいったものを味わってほしい曲である。」
とあるので、早速、NMLで聴いてみた。1時間近くに及ぶ大曲である。初めて聴く曲だ。
by kirakuossan
| 2012-06-01 22:59
| クラシック
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