2011年 10月 16日
赤彦の歌を浮かべて ~下諏訪温泉 |
2011年10月16日(日)
諏訪大社下社の秋宮近くに下諏訪温泉がある。下諏訪は門前町と知られ、源泉が20か所もある豊富な湯量で栄えた温泉宿の宿場でもある。
「ぎん月」は落ち着いた雰囲気の小奇麗な温泉旅館だ。内湯と露天風呂があって、真新しい建物と風流な庭と池を配した露天風呂は趣が素晴らしい。勿論かけ流しで、少しぬるめのお湯は長い入浴に適している。1坪もない小さな湯船は清潔なお湯で満たされていた。11時すぎに予約をしておいたが、一番風呂で貸切状態、ラッキーだった。かみさんの母と、伯母、それにわれわれの4人は2時間ゆったりくつろいだ。
道中、島木赤彦の生誕地があったが、湯船に浮かべて恋占いするという木の板には赤彦の歌がいくつも詠まれていた。
泉質:NaCa塩化物硫酸塩泉、泉温:55.2度
お湯4・雰囲気4・自然度4・清潔感5・サービス4・全体評5・・・26(女房4)
・・・・・・・・・・・・・
島木 赤彦(1876~1926)
明治・大正時代のアララギ派歌人。長野県諏訪郡上諏訪村角間(現諏訪市)に生まれる。教職の傍ら短歌を作る。正岡子規の歌集に魅せられ、伊藤左千夫に師事。1915年、齋藤茂吉に代わって短歌雑誌「アララギ」編集兼発行人となる。写生短歌を追求し赤彦独特の歌風を確立した。
「馬鈴薯の花」
暁の温泉の霧低く沈みつつ氷の湖に流れ行くかな
この山の紅葉に来つつ家の人と夜々の炬燵にしたしみにけり
「氷魚」
ふるさとの山の町なる夜の雪醉ひて眠りぬ昔の人と
山深き信濃の町につもる雪夜ぶかく醉ひて帰るすべなし
白樺の木の上に白き日は曇り木の葉しきりに根に落ちたまる
「太虚集」
草枯丘いくつも越えて来つれども蓼科山はなほ丘の上にあり
限りなく晴れたる空や秋草の花野にとほき蓼科の山
湯のうへの岡にのぼれば間近なり雪の残れる蓼科の山
諏訪大社下社の秋宮近くに下諏訪温泉がある。下諏訪は門前町と知られ、源泉が20か所もある豊富な湯量で栄えた温泉宿の宿場でもある。
「ぎん月」は落ち着いた雰囲気の小奇麗な温泉旅館だ。内湯と露天風呂があって、真新しい建物と風流な庭と池を配した露天風呂は趣が素晴らしい。勿論かけ流しで、少しぬるめのお湯は長い入浴に適している。1坪もない小さな湯船は清潔なお湯で満たされていた。11時すぎに予約をしておいたが、一番風呂で貸切状態、ラッキーだった。かみさんの母と、伯母、それにわれわれの4人は2時間ゆったりくつろいだ。
道中、島木赤彦の生誕地があったが、湯船に浮かべて恋占いするという木の板には赤彦の歌がいくつも詠まれていた。
泉質:NaCa塩化物硫酸塩泉、泉温:55.2度
お湯4・雰囲気4・自然度4・清潔感5・サービス4・全体評5・・・26(女房4)
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島木 赤彦(1876~1926)
明治・大正時代のアララギ派歌人。長野県諏訪郡上諏訪村角間(現諏訪市)に生まれる。教職の傍ら短歌を作る。正岡子規の歌集に魅せられ、伊藤左千夫に師事。1915年、齋藤茂吉に代わって短歌雑誌「アララギ」編集兼発行人となる。写生短歌を追求し赤彦独特の歌風を確立した。
「馬鈴薯の花」
暁の温泉の霧低く沈みつつ氷の湖に流れ行くかな
この山の紅葉に来つつ家の人と夜々の炬燵にしたしみにけり
「氷魚」
ふるさとの山の町なる夜の雪醉ひて眠りぬ昔の人と
山深き信濃の町につもる雪夜ぶかく醉ひて帰るすべなし
白樺の木の上に白き日は曇り木の葉しきりに根に落ちたまる
「太虚集」
草枯丘いくつも越えて来つれども蓼科山はなほ丘の上にあり
限りなく晴れたる空や秋草の花野にとほき蓼科の山
湯のうへの岡にのぼれば間近なり雪の残れる蓼科の山
by kirakuossan
| 2011-10-16 16:35
| 温泉♨
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