2011年 09月 14日
指揮者100選☆21 バーンスタイン |
2011年9月14日(水)
レナード・バーンスタイン (Leonard Bernstein, アメリカ、1918/8/25~1990/10/14)ユダヤ系アメリカ人の作曲家・指揮者でピアニスト。アメリカが生んだ最初の国際的レベルの指揮者になりヘルベルト・フォン・カラヤンと並んで、20世紀後半のクラシック界をリードしてきたスター音楽家。
フリッツ・ライナーやセルゲイ・クーセヴィツキーに師事し、ピアノはイサベラ・ヴェンゲーロワに師事。カーティス音楽院を卒業後、1943年夏にアルトゥール・ロジンスキーの指名によりニューヨーク・フィルハーモニックの副指揮者に就任した。その年の11月、病気のブルーノ・ワルターの代役としてニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団(当時)を指揮、この日のコンサートはラジオでも放送されていたこともあって一大センセーションを巻き起こすことになる。まさに彼らしい華々しいデビューだ。
40歳になった1958年、ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団の音楽監督に正式に就任する。
その後、バーンスタインとニューヨーク・フィルのコンビは大成功を収め、同フィルの黄金時代をもたらすことになる。1969年の音楽監督辞任までその蜜月の関係は続く。
ウィーン・フィル、イスラエル・フィル、バイエルン放送交響楽団、ロンドン交響楽団、フランス国立管弦楽団など各国の一流オーケストラに客演、名演奏を残した。晩年にただ一度、ベルリン・フィルを振ったのも語り草になっている。
幸いにもたった一度、バーンスタインの生演奏に触れることが出来た。1974年9月の日本公演だ。
1974年9月10日(火)
大阪:フェスティバルホール
指揮とピアノ:レナード・バーンスタイン
ニューヨーク・フィルハーモニック交響楽団
プログラム:
モーツアルト ピアノ協奏曲ハ長調K.503
マーラー 交響曲第5番ハ短調
当日の演奏会でマーラーの第5番を初めて聴いた。今まで第1番しか知らなかったが、さらにダイナミックレンジの5番のフルオーケストラサウンドに魅了された。クライマックスではバーンスタインは指揮台の上で高く二度、三度ジャンプをして興奮を最大限に表現した。音楽を聴いてまだ間もない僕にとっては、一生忘れないほどの痛烈な印象が、耳に、目に、焼きついた。
バーンスタインとニューヨーク・フィルは1961年、1970年についで3度目の来日公演。前2回は小澤征爾も同行、今回は同オケの常任指揮者ではあるが、当時はさほど有名ではないピエール・ブーレーズが一緒にやってきた。
9月1日の東京・東京文化会館の演奏会を皮切りに、東京4回、名古屋、富山各1回、そして大阪で2回、聴きに行ったのは最終日の演奏会であった。全8回の演奏会をふたりで半分ずつ分け合って振った。大阪のもう一つはブーレーズがメンデルスゾーン交響曲第4番「イタリア」、ストラヴィンスキー「ペトルーシュカ」などを振った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
1985年8月には広島で、被爆40周年を悼むための「広島平和コンサート」を開催し、1989年のクリスマスには、直前に起きたベルリンの壁崩壊を受け、ベルリンで東西ドイツ・アメリカ・ソ連・フランス・イギリスの各オーケストラの混成メンバーでベートーヴェンの交響曲第9番を指揮、したことも歴史に残ることとなった。
カラヤンが1989年に急死、彼も翌年に亡くなり、ライバル視された両雄が相次いでこの世から去り、ひとつの時代が終わったことを強く印象づけた。
また彼は、マイケル・ティルソン・トーマス、小澤征爾、大植英次、佐渡裕など多くの弟子を世に送り出したことでも有名である。
☆演奏スタイルは・・・
若いころは非常に情熱的できびきびした指揮ぶりが魅力でもあった。晩年にはゆったりとした重厚な表現を好むようになった。ユダヤ系アメリカ人でもある彼が終生愛した3つのオーケストラはニューヨーク・フィル、ウィーン・フィル、そしてイスラエル・フィルであるといわれる。
☆残した録音は・・・
1970年代半ばまではCBSレコードと、その後、ドイツ・グラモフォンおよびEMIと録音契約を交わして、CBSで録音していたレパートリーの再録音をヨーロッパやアメリカの様々な一流オーケストラと行った。CBS時代は溌溂とし、EMI・グラモフォン時代の新録音のでは円熟味を感じる演奏を展開した。
彼のマーラーは定評があって、1970年代ごろは彼の右に出るものがいないような時期でもあったように思う。
マーラー:交響曲第9番ニ長調 [81:22]
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
レナード・バーンスタイン(指揮)
録音:1979年10月
録音場所:ベルリン、フィルハーモニー
後にも先にもたった一度のベルリン・フィルとの記念すべき演奏
☆私見・・・
クラシック音楽の”楽しさ”、”素晴らしさ” を体験させてくれたのは、カラヤンではなく、ベームでもなく、セルでもない、レニーその人。
☆Myライブラリーより・・・
マーラー:交響曲第1番ニ長調『巨人』
ニューヨーク・フィルハーモニック
レナード・バーンスタイン(指揮)
録音:1966年ニューヨーク
僕の”マーラー入門”盤になったCD(当時はLP)
レナード・バーンスタイン (Leonard Bernstein, アメリカ、1918/8/25~1990/10/14)ユダヤ系アメリカ人の作曲家・指揮者でピアニスト。アメリカが生んだ最初の国際的レベルの指揮者になりヘルベルト・フォン・カラヤンと並んで、20世紀後半のクラシック界をリードしてきたスター音楽家。
フリッツ・ライナーやセルゲイ・クーセヴィツキーに師事し、ピアノはイサベラ・ヴェンゲーロワに師事。カーティス音楽院を卒業後、1943年夏にアルトゥール・ロジンスキーの指名によりニューヨーク・フィルハーモニックの副指揮者に就任した。その年の11月、病気のブルーノ・ワルターの代役としてニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団(当時)を指揮、この日のコンサートはラジオでも放送されていたこともあって一大センセーションを巻き起こすことになる。まさに彼らしい華々しいデビューだ。
40歳になった1958年、ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団の音楽監督に正式に就任する。
その後、バーンスタインとニューヨーク・フィルのコンビは大成功を収め、同フィルの黄金時代をもたらすことになる。1969年の音楽監督辞任までその蜜月の関係は続く。
ウィーン・フィル、イスラエル・フィル、バイエルン放送交響楽団、ロンドン交響楽団、フランス国立管弦楽団など各国の一流オーケストラに客演、名演奏を残した。晩年にただ一度、ベルリン・フィルを振ったのも語り草になっている。
幸いにもたった一度、バーンスタインの生演奏に触れることが出来た。1974年9月の日本公演だ。
1974年9月10日(火)
大阪:フェスティバルホール
指揮とピアノ:レナード・バーンスタイン
ニューヨーク・フィルハーモニック交響楽団
プログラム:
モーツアルト ピアノ協奏曲ハ長調K.503
マーラー 交響曲第5番ハ短調
当日の演奏会でマーラーの第5番を初めて聴いた。今まで第1番しか知らなかったが、さらにダイナミックレンジの5番のフルオーケストラサウンドに魅了された。クライマックスではバーンスタインは指揮台の上で高く二度、三度ジャンプをして興奮を最大限に表現した。音楽を聴いてまだ間もない僕にとっては、一生忘れないほどの痛烈な印象が、耳に、目に、焼きついた。
バーンスタインとニューヨーク・フィルは1961年、1970年についで3度目の来日公演。前2回は小澤征爾も同行、今回は同オケの常任指揮者ではあるが、当時はさほど有名ではないピエール・ブーレーズが一緒にやってきた。
9月1日の東京・東京文化会館の演奏会を皮切りに、東京4回、名古屋、富山各1回、そして大阪で2回、聴きに行ったのは最終日の演奏会であった。全8回の演奏会をふたりで半分ずつ分け合って振った。大阪のもう一つはブーレーズがメンデルスゾーン交響曲第4番「イタリア」、ストラヴィンスキー「ペトルーシュカ」などを振った。
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1985年8月には広島で、被爆40周年を悼むための「広島平和コンサート」を開催し、1989年のクリスマスには、直前に起きたベルリンの壁崩壊を受け、ベルリンで東西ドイツ・アメリカ・ソ連・フランス・イギリスの各オーケストラの混成メンバーでベートーヴェンの交響曲第9番を指揮、したことも歴史に残ることとなった。
カラヤンが1989年に急死、彼も翌年に亡くなり、ライバル視された両雄が相次いでこの世から去り、ひとつの時代が終わったことを強く印象づけた。
また彼は、マイケル・ティルソン・トーマス、小澤征爾、大植英次、佐渡裕など多くの弟子を世に送り出したことでも有名である。
☆演奏スタイルは・・・
若いころは非常に情熱的できびきびした指揮ぶりが魅力でもあった。晩年にはゆったりとした重厚な表現を好むようになった。ユダヤ系アメリカ人でもある彼が終生愛した3つのオーケストラはニューヨーク・フィル、ウィーン・フィル、そしてイスラエル・フィルであるといわれる。
☆残した録音は・・・
1970年代半ばまではCBSレコードと、その後、ドイツ・グラモフォンおよびEMIと録音契約を交わして、CBSで録音していたレパートリーの再録音をヨーロッパやアメリカの様々な一流オーケストラと行った。CBS時代は溌溂とし、EMI・グラモフォン時代の新録音のでは円熟味を感じる演奏を展開した。
彼のマーラーは定評があって、1970年代ごろは彼の右に出るものがいないような時期でもあったように思う。
マーラー:交響曲第9番ニ長調 [81:22]
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
レナード・バーンスタイン(指揮)
録音:1979年10月
録音場所:ベルリン、フィルハーモニー
後にも先にもたった一度のベルリン・フィルとの記念すべき演奏
☆私見・・・
クラシック音楽の”楽しさ”、”素晴らしさ” を体験させてくれたのは、カラヤンではなく、ベームでもなく、セルでもない、レニーその人。
☆Myライブラリーより・・・
マーラー:交響曲第1番ニ長調『巨人』
ニューヨーク・フィルハーモニック
レナード・バーンスタイン(指揮)
録音:1966年ニューヨーク
僕の”マーラー入門”盤になったCD(当時はLP)
by kirakuossan
| 2011-09-14 21:09
| 指揮者100選(完)
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