2011年 04月 30日
神が宿る湯 ~毒沢鉱泉 |
2011年4月30日(土)
ここは信州下諏訪の毒沢鉱泉「神の湯」
毒沢鉱泉の歴史は古く450年前の永禄年間に武田信玄が金発掘の際、怪我人の治療に利用したと伝えられている。
昭和9年医薬に見放された幼少の先代館主が鉱泉によって救われて以来より一層評判が高まり、各地から湯治に訪れる人々でにぎわうようになった。
3年後の昭和12年には日本の自然鉱泉中の売薬許可を受け、その効能の確かさはゆるぎないものとなった。 (当温泉のHPより)
”毒沢”の名の由来は「鉄分、明礬が恐ろしく濃いため、沢にいる魚がみな死んでしまった」ということらしい。
「神の湯」は、諏訪湖の北方向に位置し、花見新道という桜並木を走り諏訪大社下社春宮を通り越して、急な山道を走ると、すぐに鋭角に左折して集落に入る。そこを通りぬけると毒沢鉱泉があり3軒の宿がある。その一番奥にあって、最後の200mほどは急な坂道を駆け上り、突き当りにひっそりと建っている素朴な山の宿だ。秘湯とまではいかないが、それなりの風情はある。
源泉は湯口では透明だが、湯船の中では濃い赤茶色になる。
泉質:含鉄Ⅱ-Al-硫酸塩冷鉱泉(酸性低張性冷鉱泉)
お湯4・雰囲気4・自然度4・清潔感4・サービス2・全体評4・(女房どの評4)・・・22(点数は良いが、愛想はあまり良くなかった)
源泉は冷泉だが、サッと入って湯船に浸かると、体中ががピリピリしてくる。源泉の成分の威力を肌で感じる。
諏訪大社の御柱祭はこの近くで行われるため、その時、宿は満員となるらしい。
ここは信州下諏訪の毒沢鉱泉「神の湯」
毒沢鉱泉の歴史は古く450年前の永禄年間に武田信玄が金発掘の際、怪我人の治療に利用したと伝えられている。
昭和9年医薬に見放された幼少の先代館主が鉱泉によって救われて以来より一層評判が高まり、各地から湯治に訪れる人々でにぎわうようになった。
3年後の昭和12年には日本の自然鉱泉中の売薬許可を受け、その効能の確かさはゆるぎないものとなった。 (当温泉のHPより)
”毒沢”の名の由来は「鉄分、明礬が恐ろしく濃いため、沢にいる魚がみな死んでしまった」ということらしい。
「神の湯」は、諏訪湖の北方向に位置し、花見新道という桜並木を走り諏訪大社下社春宮を通り越して、急な山道を走ると、すぐに鋭角に左折して集落に入る。そこを通りぬけると毒沢鉱泉があり3軒の宿がある。その一番奥にあって、最後の200mほどは急な坂道を駆け上り、突き当りにひっそりと建っている素朴な山の宿だ。秘湯とまではいかないが、それなりの風情はある。
源泉は湯口では透明だが、湯船の中では濃い赤茶色になる。
泉質:含鉄Ⅱ-Al-硫酸塩冷鉱泉(酸性低張性冷鉱泉)
お湯4・雰囲気4・自然度4・清潔感4・サービス2・全体評4・(女房どの評4)・・・22(点数は良いが、愛想はあまり良くなかった)
源泉は冷泉だが、サッと入って湯船に浸かると、体中ががピリピリしてくる。源泉の成分の威力を肌で感じる。
諏訪大社の御柱祭はこの近くで行われるため、その時、宿は満員となるらしい。
by kirakuossan
| 2011-04-30 15:53
| 温泉♨
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