2011年 03月 26日
山吹と金魚 |
2011年3月26日(土)
詩人天野忠は皆が知っているというほど有名ではない。しかし、一度知ってしまえば誰でも彼の”詩”が好きになる。
三島由紀夫が絶賛し、丸谷才一をして「今までこの詩人を知らなかったことが恥ずかしい」とまで言わせた詩人。
1909年京都市に生まれ、1993年10月、あの「ドーハの悲劇」(サッカー)がおこった日に84歳で亡くなった。
詩人は見合いして、「ニシンそばでもたべませんか?」と誘って「ニシンは嫌いです」と断られたが結婚した。・・・戦争を経て、一生懸命生き、子供も独立し、赤いチャンチャンコを着る年になって、詩人が若い頃憧れていた「しずかな夫婦」がようやくでき上がった時、久しぶりに街へ出て「ニシンそばでも喰ってこようか?」と誘うと、古女房は「ニシンは嫌いです」と・・・。そんな奥さんとの”心温まる詩”が好きだ。
時間
私のとなりに寝ている人は
四十年前から
ずうっと毎晩
私のとなりに寝ている。
夏は軽い夏蒲団で
冬は厚い冬蒲団で
ずうっと毎晩
私のとなりに寝ている。
あれが四十年というものか…
風呂敷のようなものが
うっすら
口をあけている。
・・・・・・・・・・
昨日、『天野忠随筆選』(山田稔選)を買った。
彼の随筆は、鋭い洞察力が見え隠れするが、あくまで表面は穏やかで、たおやかで、優しい。が、時として人を突き放し、醒めた目でみることも多い。そして、次第に読む者をニヤリとさせ、心暖まる余韻を残す。
山吹と金魚
私も動物好きだが、息子の嫁もカリフォルニアでは、何種だか知らないが、大人ほどの恰幅のよい犬と抱き合うようにして並んでニコニコしていて、見たところ大の動物好きのようであった。日本に来てからは、お定まりの狭苦しいアパートの二階暮らし、それも夫婦共稼ぎという状況だから、とても犬どころか猫も飼う余裕はなく、思いあまった末、金魚を飼うことにした。・・・<略>・・・
その三匹の金魚に名前をつけた。金魚に名前をつけるという発想はやっぱり外人さん向きだなと感心して、その名前を聞くと、一匹は「ハイ」一匹は「ソウ」あとの一匹は「デス」というのだそうである。どうしてそんなへんてこりんな名前をつけたのかときくと、「主人がいちばん早く覚えて欲しい日本語だといったから」だそうである。・・・<略>・・・
私の方も今年まで何度も冬を越した古強者の金魚が一匹いたのだが、これはむっつりやで、一日中哲学者のように水の底の青い藻の蔭でじいっと考えごとばかりしていた。そして春になるまぎわに死んだ。こんな無口な?しずかな世の中を悟りきったようなポーズを死ぬまでつづけた生きものをほかに知らないが、私はこの老いたる金魚を庭の山吹の木の下に埋めた・・・<略>・・・
息子の嫁が来て、この山吹の花を見て一時間も動かない。・・・アメリカには無い花なのだろうか。青い眼の中に、日本の山吹の美しいやさしい黄色が一時間もの間、しっとりと印象づけられて、じっと見惚れている姿を見ると何かこのカリフォルニア産の息子の嫁がいじらしく見えてくる。・・・<略>・・・
私の女房も動物好きな方だが、いたって実利型に出来ているから、狭い借家暮らしには犬や猫も飼うことは御免で、専らテレビで子供向けの例の「ラッシー」だとか、「名犬リンチンチン」とかいう人間以上に動物の活躍する写真の大ファンで、熱が三十九度ぐらいあっても欠かさずその時間になるとシャンと起き上がってくるのである。・・・息子の嫁も、私の家へ来るとラッシー君活躍の場面等は熱心に見ていて、ときどき青い眼を濡らし、溜息をついたりしている。・・・<略>・・・
先日ひょっこり娘(息子の嫁)が来て、例のとおり一時間近く山吹の花ざかりを縁側に横座りに座って眺めていたが、ひょいとこっちを見返って、「キンギョヒトツシニマシタ」と悲しいそうに云った。そしてまたゆっくり山吹に顔を向けた。死んだのは、「ハイ」か「ソウ」か、それとも「デス」か、それは聞かなかった。
清貧の詩人・天野忠
詩人天野忠は皆が知っているというほど有名ではない。しかし、一度知ってしまえば誰でも彼の”詩”が好きになる。
三島由紀夫が絶賛し、丸谷才一をして「今までこの詩人を知らなかったことが恥ずかしい」とまで言わせた詩人。
1909年京都市に生まれ、1993年10月、あの「ドーハの悲劇」(サッカー)がおこった日に84歳で亡くなった。
詩人は見合いして、「ニシンそばでもたべませんか?」と誘って「ニシンは嫌いです」と断られたが結婚した。・・・戦争を経て、一生懸命生き、子供も独立し、赤いチャンチャンコを着る年になって、詩人が若い頃憧れていた「しずかな夫婦」がようやくでき上がった時、久しぶりに街へ出て「ニシンそばでも喰ってこようか?」と誘うと、古女房は「ニシンは嫌いです」と・・・。そんな奥さんとの”心温まる詩”が好きだ。
時間
私のとなりに寝ている人は
四十年前から
ずうっと毎晩
私のとなりに寝ている。
夏は軽い夏蒲団で
冬は厚い冬蒲団で
ずうっと毎晩
私のとなりに寝ている。
あれが四十年というものか…
風呂敷のようなものが
うっすら
口をあけている。
・・・・・・・・・・
昨日、『天野忠随筆選』(山田稔選)を買った。
彼の随筆は、鋭い洞察力が見え隠れするが、あくまで表面は穏やかで、たおやかで、優しい。が、時として人を突き放し、醒めた目でみることも多い。そして、次第に読む者をニヤリとさせ、心暖まる余韻を残す。
山吹と金魚
私も動物好きだが、息子の嫁もカリフォルニアでは、何種だか知らないが、大人ほどの恰幅のよい犬と抱き合うようにして並んでニコニコしていて、見たところ大の動物好きのようであった。日本に来てからは、お定まりの狭苦しいアパートの二階暮らし、それも夫婦共稼ぎという状況だから、とても犬どころか猫も飼う余裕はなく、思いあまった末、金魚を飼うことにした。・・・<略>・・・
その三匹の金魚に名前をつけた。金魚に名前をつけるという発想はやっぱり外人さん向きだなと感心して、その名前を聞くと、一匹は「ハイ」一匹は「ソウ」あとの一匹は「デス」というのだそうである。どうしてそんなへんてこりんな名前をつけたのかときくと、「主人がいちばん早く覚えて欲しい日本語だといったから」だそうである。・・・<略>・・・
私の方も今年まで何度も冬を越した古強者の金魚が一匹いたのだが、これはむっつりやで、一日中哲学者のように水の底の青い藻の蔭でじいっと考えごとばかりしていた。そして春になるまぎわに死んだ。こんな無口な?しずかな世の中を悟りきったようなポーズを死ぬまでつづけた生きものをほかに知らないが、私はこの老いたる金魚を庭の山吹の木の下に埋めた・・・<略>・・・
息子の嫁が来て、この山吹の花を見て一時間も動かない。・・・アメリカには無い花なのだろうか。青い眼の中に、日本の山吹の美しいやさしい黄色が一時間もの間、しっとりと印象づけられて、じっと見惚れている姿を見ると何かこのカリフォルニア産の息子の嫁がいじらしく見えてくる。・・・<略>・・・
私の女房も動物好きな方だが、いたって実利型に出来ているから、狭い借家暮らしには犬や猫も飼うことは御免で、専らテレビで子供向けの例の「ラッシー」だとか、「名犬リンチンチン」とかいう人間以上に動物の活躍する写真の大ファンで、熱が三十九度ぐらいあっても欠かさずその時間になるとシャンと起き上がってくるのである。・・・息子の嫁も、私の家へ来るとラッシー君活躍の場面等は熱心に見ていて、ときどき青い眼を濡らし、溜息をついたりしている。・・・<略>・・・
先日ひょっこり娘(息子の嫁)が来て、例のとおり一時間近く山吹の花ざかりを縁側に横座りに座って眺めていたが、ひょいとこっちを見返って、「キンギョヒトツシニマシタ」と悲しいそうに云った。そしてまたゆっくり山吹に顔を向けた。死んだのは、「ハイ」か「ソウ」か、それとも「デス」か、それは聞かなかった。
清貧の詩人・天野忠
by kirakuossan
| 2011-03-26 12:59
| 文芸
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