2010年 12月 20日
指揮者100選☆5 ミュンシュ |
2010年12月20日(月)
シャルル・ミュンシュ(Charles Munch,ドイツ→ フランス1891/9/26 ~ 1968/11/6)
長い指揮棒は同じだが、ライナーがほとんど動かさなかったのに対して、ミュンシュは風車のように大きく振り回す情熱的な指揮ぶり。
もともとゲヴァントハウス管弦楽団でフルトヴェングラーやワルターの下でコンサートマスターを務める。
1929年に指揮者としてデビュー、1937年にパリ音楽院管弦楽団の指揮者となって約10年間在任した。1949年にボストン交響楽団の常任指揮者に就任、1962年まで務めた。1960年にボストン交響楽団、1966年にフランス国立放送管弦楽団と来日。即興の名手で、大の練習嫌い。小澤征爾やシャルル・デュトワを教えたことでも知られている。(参考:Wikipedia)
☆演奏スタイルは・・・
ここでは管理責任者おおたに氏のHPの一部をそのまま掲載する。
『海外オーケストラ来日公演記録抄』より・・・
ボストン交響楽団というアメリカ3大オーケストラのひとつをミュンシュが率いて来日したのは1960年の5月で、NHKが招聘もととなりました。
ミュンシュは来日時のインタビューで、「音楽をやりに来た、ただそれだけ」というと、そのまま立ち去ってしまいました。だがそっけなくみえたのはその時だけで、いざ指揮台に立つと、凄まじく熱い音楽をそこに展開していきました。
この公演は日本の聴衆だけでなく、オーケストラ側にも強い感銘を与えました。特に聴衆の真剣な態度と反応の素晴らしさをオーケストラの団員はくちを揃えてたたえました。また日本のオーケストラの弦楽器奏者の優秀さにもふれましたが、オケの使用している楽器が悪すぎるということも、歯に衣をきせず発言していきました。
またミュンシュも京都に立ち寄った時京響の練習に立ち会ったりしていました。以下に当時の記述を記しておきたいと思います。
5/13 (京都新聞)
ボストン交響楽団をひきいて来日中の世界的指揮者シャルル・ミュンシュ氏が、十二日午後、京都会館を訪れ第一ホールで練習中の京都市交響楽団の演奏に耳を傾けた。
ミュンシュ氏はわが国でただ一つの市立交響楽団「京響」に接したいと、日程をさいてわざわざ訪れたもの。高山市長、吉村助役らにつきそわれ、客席でチャイコフスキーの交響曲第五番第二楽章、ベートーヴェンのエグモント序曲を聞きいっていた白髪の老巨匠は、演奏が終わるや舞台わきにかけより、指揮者カール・チェリウス氏と堅い握手。第一ホールの音響効果については「反響が強い。舞台上部の反響板を少し下げる方がよい。」と音楽家らしい鋭い批判をしていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
京都会館第一ホールの音響は以前より評判が悪い。1973年5月、ムラビンスキー指揮レニングラードフィルのショスタコビッチ6番とチャイコフスキー5番の公演を聴きにいった。ムラビンスキーの指揮ぶりはそれは見事なもので音楽を完全に掌握した素晴らしいものであった。しかし、ホールの状態が悪く、音が混ざり合って音楽として聞こえずらく、ただただ騒音が気になり、演奏が良いだけに残念な想いをした。
この一文を読んでなるほどな・・・と思った。
ついでだが、逆のケース。同じ1973年11月にカラヤンとベルリンフィルのベートーヴェンプログラム(6番と5番)を中之島のフェスティバルホールに期待して聴きに行った。音響は良かったが、肝心の演奏は何の感動もなく最低であった。確か、大阪公演の初日であったが、大阪の他公演ではモーツアルト、ワーグナー、チャイコフスキー、ドボルザーク。東京公演ではバッハ、ブルックナー、ブラームス、シューベルト、はてはシェーンベルクまで・・・と珍しくプログラムが非常に多岐にわたっており、今になって思えば、練習不足であったのかも知れない。
(チョット、ミュンシュから脱線したが・・・)
☆残した録音は・・・
何といってもこれがあまりにも有名。この曲の歴代NO1の評価もあるぐらい。確かに、情熱的で、感極まったような演奏だ。オケはパリ管(1968年)
ボストン響とは少し古いが、ハイフェンツとのベートーヴェンとメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲が欠かせない。(1955年、1959年)
☆私見・・・
個人的にはこの協奏曲集が一番好き。ミュンシュがバックに回っても存在感を示している。独奏者が超一流だけにこのバランスは絶妙。この曲のお手本のようなCD.
☆Myライブラリーより・・・
これもパリ管との演奏だが、とにかく激しい。唖然とするくらい。ここまで思う存分燃焼できれば演奏する方も、聞く方もスカッとしていうことなし。『幻想交響曲』はミュンシュが最も得意とした曲のひとつであり、パリ管弦楽団の記念すべき最初の演奏会での演目でもある。(1967年)
追記
2011年1月21日(金)
昨日発売の『レコード芸術・2月号』で毎年掲載している「読者が選んだ2010年ベストディスク」で、偶然だが、この曲がベスト1に選ばれていた。
シャルル・ミュンシュ(Charles Munch,ドイツ→ フランス1891/9/26 ~ 1968/11/6)
もともとゲヴァントハウス管弦楽団でフルトヴェングラーやワルターの下でコンサートマスターを務める。
1929年に指揮者としてデビュー、1937年にパリ音楽院管弦楽団の指揮者となって約10年間在任した。1949年にボストン交響楽団の常任指揮者に就任、1962年まで務めた。1960年にボストン交響楽団、1966年にフランス国立放送管弦楽団と来日。即興の名手で、大の練習嫌い。小澤征爾やシャルル・デュトワを教えたことでも知られている。(参考:Wikipedia)
☆演奏スタイルは・・・
ここでは管理責任者おおたに氏のHPの一部をそのまま掲載する。
『海外オーケストラ来日公演記録抄』より・・・
ボストン交響楽団というアメリカ3大オーケストラのひとつをミュンシュが率いて来日したのは1960年の5月で、NHKが招聘もととなりました。
ミュンシュは来日時のインタビューで、「音楽をやりに来た、ただそれだけ」というと、そのまま立ち去ってしまいました。だがそっけなくみえたのはその時だけで、いざ指揮台に立つと、凄まじく熱い音楽をそこに展開していきました。
この公演は日本の聴衆だけでなく、オーケストラ側にも強い感銘を与えました。特に聴衆の真剣な態度と反応の素晴らしさをオーケストラの団員はくちを揃えてたたえました。また日本のオーケストラの弦楽器奏者の優秀さにもふれましたが、オケの使用している楽器が悪すぎるということも、歯に衣をきせず発言していきました。
またミュンシュも京都に立ち寄った時京響の練習に立ち会ったりしていました。以下に当時の記述を記しておきたいと思います。
5/13 (京都新聞)
ボストン交響楽団をひきいて来日中の世界的指揮者シャルル・ミュンシュ氏が、十二日午後、京都会館を訪れ第一ホールで練習中の京都市交響楽団の演奏に耳を傾けた。
ミュンシュ氏はわが国でただ一つの市立交響楽団「京響」に接したいと、日程をさいてわざわざ訪れたもの。高山市長、吉村助役らにつきそわれ、客席でチャイコフスキーの交響曲第五番第二楽章、ベートーヴェンのエグモント序曲を聞きいっていた白髪の老巨匠は、演奏が終わるや舞台わきにかけより、指揮者カール・チェリウス氏と堅い握手。第一ホールの音響効果については「反響が強い。舞台上部の反響板を少し下げる方がよい。」と音楽家らしい鋭い批判をしていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
京都会館第一ホールの音響は以前より評判が悪い。1973年5月、ムラビンスキー指揮レニングラードフィルのショスタコビッチ6番とチャイコフスキー5番の公演を聴きにいった。ムラビンスキーの指揮ぶりはそれは見事なもので音楽を完全に掌握した素晴らしいものであった。しかし、ホールの状態が悪く、音が混ざり合って音楽として聞こえずらく、ただただ騒音が気になり、演奏が良いだけに残念な想いをした。
この一文を読んでなるほどな・・・と思った。
ついでだが、逆のケース。同じ1973年11月にカラヤンとベルリンフィルのベートーヴェンプログラム(6番と5番)を中之島のフェスティバルホールに期待して聴きに行った。音響は良かったが、肝心の演奏は何の感動もなく最低であった。確か、大阪公演の初日であったが、大阪の他公演ではモーツアルト、ワーグナー、チャイコフスキー、ドボルザーク。東京公演ではバッハ、ブルックナー、ブラームス、シューベルト、はてはシェーンベルクまで・・・と珍しくプログラムが非常に多岐にわたっており、今になって思えば、練習不足であったのかも知れない。
(チョット、ミュンシュから脱線したが・・・)
☆残した録音は・・・
ボストン響とは少し古いが、ハイフェンツとのベートーヴェンとメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲が欠かせない。(1955年、1959年)
☆私見・・・
個人的にはこの協奏曲集が一番好き。ミュンシュがバックに回っても存在感を示している。独奏者が超一流だけにこのバランスは絶妙。この曲のお手本のようなCD.
☆Myライブラリーより・・・
これもパリ管との演奏だが、とにかく激しい。唖然とするくらい。ここまで思う存分燃焼できれば演奏する方も、聞く方もスカッとしていうことなし。『幻想交響曲』はミュンシュが最も得意とした曲のひとつであり、パリ管弦楽団の記念すべき最初の演奏会での演目でもある。(1967年)
追記
2011年1月21日(金)
昨日発売の『レコード芸術・2月号』で毎年掲載している「読者が選んだ2010年ベストディスク」で、偶然だが、この曲がベスト1に選ばれていた。
by kirakuossan
| 2010-12-20 21:19
| 指揮者100選(完)
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