2010年 08月 11日
春夫は谷崎というライバルがいたから駄目になった |
2010年8月11日(水)
『文学全集を立ち上げる』(丸谷才一・三浦雅士・鹿島茂/文春文庫)が言いたい放題で、面白かった。
文学に極めて疎い小生にとって文学界の”実のところ・・・”という情報は、正誤の点を気にせず、無責任に読み流すうえでは結構参考になる。もともと”・・・ランキング”とか”・・・一覧”とか”・・・予測”とか”図説・・・”とか”十大・・・”とかいったものが好きだ。
この本は3人での鼎談方式で書かれており、「今読んでみても十分に楽しめる作品」を書いた優れた作家の文学全集を作ろうといった企画もの。
歯に衣を着せぬ発言で、面白い所を拾ってみると・・・
鴎外と漱石
「鴎外は振り返った人なんだっていうふうな感じがある。つまり二〇世紀の段階で、一九世紀を振り返った。漱石は、常に時代と一緒に歩いた、というよりも振り返る余裕もなかったっていう感じ」(三浦)
夜明けが来ない
「藤村の『夜明け前』は、小説的になる要素を全部逃がしているという感じがする」(丸谷)、「読んでも読んでも夜明けがこない」(三浦)
子規と虚子
「子規と虚子の関係って、親鸞と蓮如見たいな感じがするでしょ」(三浦)、「スポークスマンという感じね」(鹿島)、「人柄としてはね、イヤなやつだと思うよ。でも、俳句はやっぱりうまいと思うな」(丸谷)
先に言っちゃおしまい
「中村光夫の小説は、こういうことを言っては身も蓋もないけれど、人生はつまらないものだ ということを最初から言っているんだね。人生はつまらないかもしれないが、最初から答えが出てたら、小説は読む必要がない(笑)」(丸谷)
奇行が偉大
「荷風はほら、奇行をもって鳴らしたでしょう。スキャンダルをつくるのうまかったから、重要な作家になったけども、文学的な意味で本当に偉大な作家ではないよね」(丸谷)、「荷風の生き方とか、筋の通し方とか、そういう点はやっぱり凄いと思いますよ。だけど小説としてはやっぱり谷崎のほうがうまい」(三浦)
芥川はいらない
「僕は極端に言うなら、中島敦を入れるなら、芥川はいらないと思う」(三浦)、「え、それはできないでしょう」(鹿島)、「じゃあ、一巻じゃなくて、二分の一巻。たとえば佐藤春夫と抱き合わせ」(三浦)、「僕もそんなもんだと思うな」(丸谷) -略- 、「芥川龍之介が一巻ならば、中島敦一巻でしょう。筆力からいっても、構成力からいっても、中島敦のほうが芥川より上だと思った」(三浦)、「中島敦のほうが教養が上なんだよ」(丸谷)
芥川でもう一つ
「芥川のほうが頭がよくて、理論的で、朔太郎のほうが感覚的で、頭が悪いと思われているけれど、ぜんぜん違う。たしかに、親のスネかじりで、女房には逃げられる。でも、書いているものを読むと、理が通っているのは朔太郎の方でしょう」(三浦)、「僕も朔太郎はすごいと思うよ」(丸谷)
ライバル意識が邪魔した
「佐藤春夫はどうするんでしたっけ、誰と組み合わせるの?」(三浦)、「カウンターとしては谷崎でしょうけれど、谷崎のほうが圧倒的だから、バランスがとれない」(鹿島)、「春夫という人は、谷崎をライバルと思わないで生きたら、もっと違ってた人だね。ライバルがあったせいでだめになった文学者だね」(丸谷)、「逆に、谷崎がいたからあそこまで行ったっていう説もあり得る」(三浦)
まあー、しかし、ここまで行ったら言いたい放題だわー
読後、その作家の実力を初めて知り、また、再認識を深めて読んでみたくなった人をあげると・・・
武田泰淳(武田百合子)
中島敦
西脇順三郎
梅崎春生
萩原朔太郎
宇野千代
金子光晴
吉田健一
追記
2010年9月16日(木)
武田泰淳を読んだが、どうも好きになれない。根が暗いのと、文章中に”括弧書き”部分が多く、なにかグチャグチャ講釈が多いのに閉口する。(目まいのする散歩、笑い男の散歩等々)・・・こういう感じ
吉田健一は、最初、もって回った表現に感じるが、よくよく読んでいくと、あの独特のクネクネしたタッチが実に的を得た描写になる。
金子光晴の文(随筆)を読んでいると、何か一本のピーンと筋の通った生き方が感じ取れる。
中島敦の「山月記」は短編小説ながら、心の奥に何かが強く残る。とくに最後の箇所が印象深い。
<・・・袁が嶺南からの帰途には決してこの途を通らないで欲しい、その時には自分が酔っていて故人を認めずに襲いかかるかも知れないから。又、今別れてから、前方百歩の所にある、あの丘に上ったら、此方を振りかえって見て貰いたい。自分は今の姿をもう一度お目に掛けよう。勇に誇ろうとしてではない。我が醜悪な姿を示して、以て、再び此処を過ぎて自分に会おうとの気持を君に起させない為であると。
袁は叢に向って、懇ろに別れの言葉を述べ、馬に上った。叢の中からは、又、堪え得ざるが如き悲泣の声が洩れた。袁も幾度か叢を振返りながら、涙の中に出発した。
一行が丘の上についた時、彼等は、言われた通りに振返って、先程の林間の草地を眺めた。忽ち、一匹の虎が草の茂みから道の上に躍り出たのを彼等は見た。虎は、既に白く光を失った月を仰いで、二声三声咆哮したかと思うと、又、元の叢に躍り入って、再びその姿を見なかった。
『文学全集を立ち上げる』(丸谷才一・三浦雅士・鹿島茂/文春文庫)が言いたい放題で、面白かった。
文学に極めて疎い小生にとって文学界の”実のところ・・・”という情報は、正誤の点を気にせず、無責任に読み流すうえでは結構参考になる。もともと”・・・ランキング”とか”・・・一覧”とか”・・・予測”とか”図説・・・”とか”十大・・・”とかいったものが好きだ。
この本は3人での鼎談方式で書かれており、「今読んでみても十分に楽しめる作品」を書いた優れた作家の文学全集を作ろうといった企画もの。
歯に衣を着せぬ発言で、面白い所を拾ってみると・・・
鴎外と漱石
「鴎外は振り返った人なんだっていうふうな感じがある。つまり二〇世紀の段階で、一九世紀を振り返った。漱石は、常に時代と一緒に歩いた、というよりも振り返る余裕もなかったっていう感じ」(三浦)
夜明けが来ない
「藤村の『夜明け前』は、小説的になる要素を全部逃がしているという感じがする」(丸谷)、「読んでも読んでも夜明けがこない」(三浦)
子規と虚子
「子規と虚子の関係って、親鸞と蓮如見たいな感じがするでしょ」(三浦)、「スポークスマンという感じね」(鹿島)、「人柄としてはね、イヤなやつだと思うよ。でも、俳句はやっぱりうまいと思うな」(丸谷)
先に言っちゃおしまい
「中村光夫の小説は、こういうことを言っては身も蓋もないけれど、人生はつまらないものだ ということを最初から言っているんだね。人生はつまらないかもしれないが、最初から答えが出てたら、小説は読む必要がない(笑)」(丸谷)
奇行が偉大
「荷風はほら、奇行をもって鳴らしたでしょう。スキャンダルをつくるのうまかったから、重要な作家になったけども、文学的な意味で本当に偉大な作家ではないよね」(丸谷)、「荷風の生き方とか、筋の通し方とか、そういう点はやっぱり凄いと思いますよ。だけど小説としてはやっぱり谷崎のほうがうまい」(三浦)
芥川はいらない
「僕は極端に言うなら、中島敦を入れるなら、芥川はいらないと思う」(三浦)、「え、それはできないでしょう」(鹿島)、「じゃあ、一巻じゃなくて、二分の一巻。たとえば佐藤春夫と抱き合わせ」(三浦)、「僕もそんなもんだと思うな」(丸谷) -略- 、「芥川龍之介が一巻ならば、中島敦一巻でしょう。筆力からいっても、構成力からいっても、中島敦のほうが芥川より上だと思った」(三浦)、「中島敦のほうが教養が上なんだよ」(丸谷)
芥川でもう一つ
「芥川のほうが頭がよくて、理論的で、朔太郎のほうが感覚的で、頭が悪いと思われているけれど、ぜんぜん違う。たしかに、親のスネかじりで、女房には逃げられる。でも、書いているものを読むと、理が通っているのは朔太郎の方でしょう」(三浦)、「僕も朔太郎はすごいと思うよ」(丸谷)
ライバル意識が邪魔した
「佐藤春夫はどうするんでしたっけ、誰と組み合わせるの?」(三浦)、「カウンターとしては谷崎でしょうけれど、谷崎のほうが圧倒的だから、バランスがとれない」(鹿島)、「春夫という人は、谷崎をライバルと思わないで生きたら、もっと違ってた人だね。ライバルがあったせいでだめになった文学者だね」(丸谷)、「逆に、谷崎がいたからあそこまで行ったっていう説もあり得る」(三浦)
まあー、しかし、ここまで行ったら言いたい放題だわー
読後、その作家の実力を初めて知り、また、再認識を深めて読んでみたくなった人をあげると・・・
武田泰淳(武田百合子)
中島敦
西脇順三郎
梅崎春生
萩原朔太郎
宇野千代
金子光晴
吉田健一
追記
2010年9月16日(木)
武田泰淳を読んだが、どうも好きになれない。根が暗いのと、文章中に”括弧書き”部分が多く、なにかグチャグチャ講釈が多いのに閉口する。(目まいのする散歩、笑い男の散歩等々)・・・こういう感じ
吉田健一は、最初、もって回った表現に感じるが、よくよく読んでいくと、あの独特のクネクネしたタッチが実に的を得た描写になる。
金子光晴の文(随筆)を読んでいると、何か一本のピーンと筋の通った生き方が感じ取れる。
中島敦の「山月記」は短編小説ながら、心の奥に何かが強く残る。とくに最後の箇所が印象深い。
<・・・袁が嶺南からの帰途には決してこの途を通らないで欲しい、その時には自分が酔っていて故人を認めずに襲いかかるかも知れないから。又、今別れてから、前方百歩の所にある、あの丘に上ったら、此方を振りかえって見て貰いたい。自分は今の姿をもう一度お目に掛けよう。勇に誇ろうとしてではない。我が醜悪な姿を示して、以て、再び此処を過ぎて自分に会おうとの気持を君に起させない為であると。
袁は叢に向って、懇ろに別れの言葉を述べ、馬に上った。叢の中からは、又、堪え得ざるが如き悲泣の声が洩れた。袁も幾度か叢を振返りながら、涙の中に出発した。
一行が丘の上についた時、彼等は、言われた通りに振返って、先程の林間の草地を眺めた。忽ち、一匹の虎が草の茂みから道の上に躍り出たのを彼等は見た。虎は、既に白く光を失った月を仰いで、二声三声咆哮したかと思うと、又、元の叢に躍り入って、再びその姿を見なかった。
by kirakuossan
| 2010-08-11 08:49
| 文芸
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